散文詩 感情/子供(2010年)

 自分が否定されることを知っている言葉だけが、涙の中で目を醒まして夢枕にたつことができるとでも、言い添えるような瞳でもって訴えて、応えるように、もっと無邪気でいさせてみせるよって手を差し出した、それは絶対にひとつの場所にたどりつくだろう、黒い百合の花に縁取られた水晶の庭園が下腹部にあるといって、連れ立って、延ばした爪のつけね、そうペリドットって、言うんだったね、控えめだけれど美しいマニキュア、言葉を振りほどいたまま緋色のベルベットがいつまでも続いている赤い螺旋階段を上っていく、どこにいくの?何一つ手付かずで残されている、感情、という概念のナイーブさが気に食わないと、綺麗にナイフで切り刻まれる、きみの様子がうらやましくて、透き通るくらいに、どんな光も、どんな昨日も、落胆していく人影の予感も、引き受けることができるくらいに、綺麗だったら良かったんだと、思っていられた、すがりつく場所が何一つないことを、根がないことに、恐れることを、もう決して怖がったりなんかしないと、誰かに約束したいと、思いに駆られた、きみと会うことができたのはそういう夜だった、感情、それが、言葉やそれに似たものが、溶け合うことの、許された場所を、分かち合うことで、生まれることができるというなら、きみが少しでもひるんだ時さえ、恐れたことさえ、いつまでも続く砂の惑星の砂丘のどこかで発掘されて、手のひらにちいさくおさまっている、群青色の、けれども明るい光を放つ、ラピスラズリの原石のかけらを、見つけたみたいな気分でいられる、そう、笑えばいいよ、笑ってみせろよ、馬鹿にするのでも嘲るのでも怒りでも狂気でもなんでもなしに、思いつく限りの善いことなんてきっと起こらない、だから思いつく限りじゃない善いことをできる限り、とらえることが、できる気分になるために、お祭り騒ぎの夜空の中で、嘘をつくお前が、自分でも気付かずしでかしちまう、よく気がつく位の奴にならようやく、時々与えられる位の幸運でなければ見つけることなんてとてもできないみたいに稀有な笑いを、華やかな笑いを、笑えばいいよ、だって俺は憧れることにも崇拝することにも疲れてしまった、疲れた人や疲れた猫や疲れた犬にできることは休むこと、寝ること、寝返りを打つこと、自分が少しでも安心させられる誰かの肩に、手を置いてやることができる位で、いつか砂の中で砂になって、何も分からなくなって紛れ込むことがこの上なく美しいことみたいに、感じられる日がやってくることがどこかで怖くて仕方がなかったことをよく憶えているから、誤魔化しは効かない、今までの誤魔化しの4割から7割位は、全く効き目がなかった、みたいな冗談が、冗談だって、自然に信じてもらえるように、愛想良くして、忘れないでいいし忘れてもいいんだって、気がついたら自然に同じ旋律を、爪弾いている、忌まわしいフレーズ、同じリズムで繰り返される、同じパターン、いつでも同じように振舞って、馬鹿は死ななきゃ直らないって言われることを、内心では恐れていても、手癖みたいなものだ、認めてもらえない言い訳、言い訳、誰にも歌われる事のなかった、聴いてもらえることも否定されることも無視されたことさえもなかった絵物語、それらはみんな、夜の生ぬるい空気の中にうずもれて、誰かに憑り付くことを待っているのかもしれない、それは幽霊なんて言葉でなんかで言うべきなんじゃない、もっともっと綺麗でやりきれない、音楽みたいなものなんだって、そういう風に信じていた方がおめでたい気分でいられるからって・・・未来のことなんて一日でも一分でも考えていたくないっていう本心を物語るみたいに、あいつらが計画した未来を楽しそうに物語って陶酔に浸る姿を見るのが時々痛々しくて、いつか笑っちまうくらいに能面みたいな顔をして、その朝を塞いでいたっけ、誰も絶対死んだりしない、遺された誰かの無意識の世界でいつでも生きて、そいつの肉体や魂が代謝されていくたびに、新しくなっては全身の生き血を入れ替えられる、白く、青白く、緑色の風が僕たちの髪の毛を靡かせる、そう誰だって痛い思いをしたくないし、明るいところのない暗がりを導くものもなしにいつまでも歩かされるのが、地面の底に閉じ込められるのが、怖かったんだと思う、自分が否定されることを知っている言葉だけが、いつかは生き埋めにされることを知っている意識だけが、涙の中で、冷静な自分を取り繕って、冷ややかに、でも誠実に、夢枕にたつことができると、言い添えているみたいな瞳でもって、訴えて、いつしかすべてが 燃えている、水のように流れている遊星たちの中をきみは歩く、滑るように、滑らかなあしどりで、手に手をとって、思いつく限りでは一番静かで、さざなみもたたない湖面に映る、冬の三日月みたいに涼しげに、風が吹いたらほどけて消える、イメージの、風が吹くたびに裏打ちされて、見損なわれた場所から呼びもどされて、皮膚の波紋のひとつひとつを構成している細胞の、ひとつひとつに本当は、誰かの意識の残骸が、誰かが死ぬまで秘密にしていた記憶のかけらが、誰にも決して知られなかった、その人自身も気付かなかった、ひとつの祈りや悲しみが、息づいてなんて、いなかっただなんて、本当は誰にも言えないことだと、一つ一つの原子の中に、いくつもの天国が陽炎みたいに揺らめいて笑う、精霊流しの灯篭を透かしてこぼれる光、縁日のにぎやかな人だかり、みんな笑ってる、そして取り繕っている笑いだってあるけれど取り繕っていること自体は別に嘘じゃないさ、とりつくしまのないような怒りも憎しみも、そうしていること自体は別に、嘘ではないから、自分でも見えないくらいに昔の怯えが、あらわにしたこと、そう、いつしか本当に目にしたことも、耳にしたことも、触れたこともないような他人に対する嫌悪や侮蔑や憎しみを作って、誰かを憎んで、そいつの存在そのものを徹底的に削ぎ落として死んじまえばいいのにと思っていた時、いつか誰かを憎んでいた時、いつでも僕はだれでもないもう一人の自分自身を気付かないうちに追いかけていたんじゃないかって思う、そのことが淋しくて、淋しいというよりも冬の夜空に素っ裸で取り残されたみたいに、多分、これは本当は笑いものにしていいような事だって、時々本気で信じているんだ、だから笑えよ、笑えばいいよ、自分が認めるやり方で、同じ場所を繰り返して回って、夢の中で繰り返して素っ裸にされて、でも怖がらない、怖くないんだ、決めたから、約束したから、どんな時でも落ちていく、足先の亀裂に魂を落として、いくつもの観念連合と結びついたいくつもの感情が作り上げたいくつもの世界観が次々に通り過ぎていくのを見守る、いつまでも無限に落ちていく、メリーゴーランドの中に住んでいたって、そのこと自体は問題にならない、そのことすべてを呑み込んでしまえる、海の表面に朝の光が鏤められて、砕けた意識を思い返して、きらきらきらきら輝いている、メレンゲをまぶした、火のついたキャンドルが行儀よく立ち並んでいる、バースデーケーキに、思いっきり息を吸い込んで、火を消そうとするけれど大抵は一回では吹き消すことができない、だけど、うまくいかなくても笑ってくれるから、今日という今日ばかりは、どんな奴でも良く見える、実はこの世には誰一人悪い奴なんていないんじゃないかって、能天気な気分になっていた子供のころのことを思い出す、子供っていうのは大抵は誰だってそんなものさ、子供っていうのは大抵はそんなものだ、泣いたりするのも笑ったりするのも怒ったりするのも憎むのも、いつでも子供だ――多分人間というやつは感情を抱くことで子供に戻ることのできる夢を見るんだと思う、どんな一人の人間にだって、どんなにやつれた人間にだって、感情という名の子供を抱えて、そいつがいないと、ごくごく普通の、ごく当たり前の生活をしていくことさえ、かなわない・・・そういう秘密のくらしがあって、自分自身がいつか否定されることを知っている、そういう子供が、そういう言葉が、そういう祈りが、それだけが、涙のさなかで目を醒まし、眠りの向こうに、この夢の向こうに、冷ややかに、でも誠実に――きみの瞳に、言い添えて、ひとつの場所を、ある絶対を、うったえてるって、分かるんだ。

(2010年)

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