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伊藤佑輔作品集2002~2018

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2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
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#少女

散文詩 あかしあのくにの、あのこのうたう、あそびうた(2010年)

あめつちの、はじまるころから、あわのようにさきみだれている、あねもねに、あけびにあざみにあいりすのはな、あかつきの、あえかなひかりのあやおりもように、あたためられて、あけがたいろに、そめられている、あぜみちを、あせばむからだであるきつづけた、あたしのあしあと、あさいどにたまった、あまみずのかがみに、あのひにむかってあかずのとびらが、てつかずのままで、あつみをなくして、あんずのいろしてゆれていた、あめんぼ、あのひと、あかとんぼ、あさもやのあいまにあらわになって、あみのめをしたみ

散文詩 「ピクシー、ピクシー、雪を降らして」(2011年)

浄化のための超過期間、諜報機関、消化の器官、ありふれているの、先ぶれているの、落ちぶれて、気が触れて、何に触れたいの?とそう言った――氷河期と間氷期、戦争と平和、退屈と刺激、すべって転んで、赤い消火器をぶちまけてしまった、教室は雪のように真っ白になった――「白雪姫、という言葉が現代に転生して、彼女と僕は、東京の真ん中で出会うことになる、刷り込み現象だ、東京は世界でもっとも女が美しい国の中心にある、だけど男のことは何も聞かないでほしい」――昇華していく、ダイアモンドダストにエン

詩 シダリイズ(2011年)

自分が殺されてしまったことを知った神様が 両眼から三つ編みの血の雫を流している とても高い塔の見晴らし台で 緑色の水溜まりに寝そべって 裸になった彼女の心はゆびさきで 瞳の奥に絵を描いている きみの母親はまるできみと瓜二つ 淡い紫色と スミレ色が混ざり合った水蒸気になって いつまでも いつまでも同じまじないをくちづさんでいる 天使たちの羽根だけが舞い降りて ちぎれたガラスの綿毛みたいに オレンジ色の夕暮れの響きを ほんのりとうつしている まるで天国から見棄てられたせいで 街中

詩 ラピスラズリ(2011年)

赤い柘榴の実が黒い道路に落ちている その傍で風に揺れている カタバミの花のように白い きみの亡霊は 金木犀のように 甘い匂いを薫らせていたっけ 藍色の枯葉が 薄い桜色の空に散っていくのを背にして ハチミツの色をした豊かな髪の毛が 湿った空気に輝いていたっけ 消毒液の 塩素の匂いが懐かしいってきみはいう どんな景色を 写真みたいに 魂の形に焼き付けていたの きみの真っ黒になった肺を愛でるように 自分自身を惑わす言葉が出て行く口もとを 白いフリルの着いた胸元に押し当てた 緑色に透

散文詩 リリィ(2011年)

 くしけずられてはみかざられていく、どこまでも流れていく白痴のように碧い血の匂いがたちこめる。花曇りの空に綴じられていく、金細工の丈の高い王宮の一室で、きみの婚約者は眠っている、その名はリリィ、色褪せたブロンズ色の、タフタ織りに被われた膝を抱えて、薄い桜色を翳らせながら少し湿っている髪の毛、林檎色の朱味が指している灰白色の肌。触れただけで、さくさくと薄荷のように溶けてしまいそうな、繊細な銀結晶たちを宿らせた睫毛。すました耳の先で聴きとっている、深緑色をした、夜のやさしいベルベ

散文詩 セラフィー(2011年)

 セラフィー、産み落とされたその土地の空は、銀灰色のつづれ織りみたいに、海峡の光にひどくためらっていたから、なめらかな石の手触りみたいに透明なリボンをつけて、口紅よりも赤い体をした少女は、白い蕾を実らせている寒椿の瑞枝みたいにそこに立っている。寝ても醒めても同じ聖女の歌声ばかりが、天の高みに昇って行く、彼女は翡翠色にそめられた芙蓉の花のように、思いの片腕に黒くまとわりついて、夕映えの光に溶け込むように紺色の蕾を咲かせている。刻まれていく時間は花占いに使われたせいで、散り敷かれ

散文詩 雨の婚礼(2006年

――小さな白い絹糸たちが、うつむきがちに、明滅している、しんしんと、幼い鳥の羽根音みたいな音が、ずっと続いている。窓の外では、しとしとしとしと、雨が降っている、水素と酸素の混ぜ合わさってできた、あの顔見知りの球体たちは、連綿とした白い糸たちをたくさんつくっている。 ――次々と地面に吊り落とされていく、透明たち。慥かにつめたい質感を、白く薫らせ、形を崩して流れでていく、しめしめとした音たちは、なんの具体的な表情も見せない。――彼女は言う。表情を見せないあのひとの足先は人形みた

散文詩 水性少女(2007年)

平坦な水面から、白い蒸気が浮かび上がっていき、天上から引っ張られていくのに従って、そろそろそろそろ、という風情で、ゆるやかに、たおやかな速度で曲線から直線になっていき、あたりをひょろひょろ見回してから、抜き足になって、そろそろそそろと歩いていく。 向こうで四、五匹の、白い尾ひれのレースの集まりがプランクトンを食べている。 どこまでもたちあがっていく光の糸が、水よりもなめらかなもので組成された支流たちが、身をそそぎあって、途方もない規模の、大きな河を形作っている。――わたし

散文詩 楓子ちゃんとトリスタン(2017年)

「そう、赤いおでこをした楓子(かえでこ)ちゃんだったの、わたし、たくさんの猫たちのスミカになっているというトネリコの木の上で、おどおどと挨拶をする、踊り子ちゃんたちと一緒だったの、わたし、トルコ石とトルマリンでできた、何かヒトを不安にさせる木立をかいくぐって、ドリルで武装した子猫たちのトリコになって、かえられないことと、かえれないことのせいで、懐古的な気分になっていたの、わたし――ふと気がついたら、フランツ・リストの編曲した、トロイメライを聞きながら、ちりとりを片手に、閑古鳥

散文詩 赤坂見附の、ミトコンドリアのお嬢さん(2017年)

「センモンカ、たちのあいだでは、あまたの異論が、ホウセンカ、みたいに、はじける様子で、入れ子状になって、はじらいながらまどろんでいる、イロンという名の、ヒミツの古城が、情緒不安定気味に、複雑怪奇な旋律を奏でる、そんな呼子笛を吹いている、小人のような呼子嬢だったの、わたしは、明日のジョーみたいに真っ白な灰になって、ディナーショーを開く売れ残りのアイドルになって、富士の高嶺に降る雪みたいな白い衣装で、地下鉄の出口に残っていたの。そうでしょう?この街は、色んなアヤマチやステバチやス

散文詩 アナスタシア、あたらしいアタラクシア(2017年)

 すみだ河、にかかっている、言問橋(ことといばし)の、袂にたって、自分の由来をこととい始めていたの。おととい、生まれたばかりのわたしのことをことほいでいた、朝露の球面によじれて、ほころびはじめている、木苺たちの庭園に向かって、したように。  顔を見せない天使たちの気まぐれな恩寵にことほがれたように、愛の力で、脈拍みたいに生々しくなり、ルビーみたいにつややかになった、海月みたいな、乙女だったの、わたしは。――紅葉苺や苗代(なわしろ)苺、梶苺や苦苺、冬苺。埋め尽くされたよう、さ