さらば愛しの映画-昭和末期・地方・少年
商店街と我が家
我が家は自営業だった。実家のお店の近くに商店街があった。実家は、商店街と小さな県道を境に対面で存在した。しかし、商店街と無関係というわけにはいかず、イベントがあると店長(父)は寄り合いに参加していた。しかし、役員決めなど面倒事になるとさっと距離を置いていた。
付かず離れず。我が家と商店街の関係はそんな塩梅だった。
商店街の子たちとあたしは、同じ小学校に通っていた。商店街の子たちは多少歳が離れていたとしてもほとんど顔見知りだった。
団塊ジュニアと呼ばれる連中である。
商店街は登下校ルートでもあった。絵に書いたような「五人組」状態で、何か悪さをすれば、下手をすると帰宅する前に親に苦情が入る。インターネットの無い時代の恐るべき人的ネットワーク。
商店街の映画館
シネコンはなく、映画館はまだ「映画館」だった。東宝・東映・松竹のそれぞれの劇場が街にはあり、スクリーン数は1つか2つ。田舎の割に大きく長い屋根のついたアーケード型の商店街は街の中心に位置しており、映画館もそこに集中していた。
その一つであるT劇場が、我が家の近くにあった。歩いて1分もかからない距離。商店街の入り口だ。
Tには色んな思い出がある。写真印刷ではなく、看板絵師が作った映画看板。微妙に狂ったパースの絵。歪んだ俳優の顔。笑いを誘い恐怖も感じた。
館内のヤニの臭い。今のように入れ替え制ではなく、何時間も居座れる映画館は、仕事をサボったり仕事がなかったりするおじさん達の暇つぶしの場所でもあった。褒められたことじゃなかったが、スクリーンの前で紫煙を吐くのは割と常識だったのだ。
当時ブームだったカンフー映画が公開されるとこぞって小学生は映画館に集った。席には子どもしかいない。別の学校の悪そうな小学生がいたし、隣の隣のクラスの女子グループが別で観に来ていたりもした。
サカサの世界
しかし一番の思い出は別にある。
映画館の前に洋服屋Dがあった。Dの息子E・Iは同級生である。洋服屋だからか裕福だからか、E・Iは周りの子と比べて、ワンランク上のおしゃれでこぎれいな服を着ていた。セーターに毛玉は無かったし、ズボンに穴は空いていなかった。家が近いこともあり、公園で野球をしたり、ジャンプの回し読みをしたりして遊んだ。そこそこ仲が良かった。
ある日のこと。その彼から誘われた。
「映画がタダで観れるっとぞ。知っとるか」
タダで? どうやって? タダ券でも持ってるのか?
「違っ。映画館に穴が空いとるとよ」
穴?
T劇場の裏の壁に隙間(それを彼は穴と言った)があり、そこから映画が観られるのだと言う。
けど、映画って前から観るだろ? 裏から観たらどうなるの?
「前から光を当てんで、後ろからやっと……逆になるんちゃないか?」
それを聞いて、あたしはゾクっとした。映画のタダ観とは一般小学生からするとスリリングな悪事である。それに映画を逆さに観る……。どう見えるんだ……。
「今度、タダ観やろうや」
興奮したあたしはE・Iの誘いに乗った。
後日。E・Iとあたしは映画館の前に集まった。
映画館の横にはパチンコ屋P・Lがあった。その頃、商店街やその周りの繁華街にはパチンコ屋が乱立していて、朝から晩までギラギラのネオンが街を照らしていた。
T劇場とP・Lの間に小学生が入れる程度の空間がある。E・I曰く、奥に進むと映画館の背後に行けるという。
あたしとE・Iは、タイミングを見計らっていた。人がいない瞬間、隙間に潜り込むのだ。
田舎と言えども街の中心である。人通りは途絶えない。厄介なのはパチンコ屋のお客だ。絡んでくると面倒なおっさんたちばかり。一度パチンコ屋の前を通ったとき、客のおじさんから突然怒声を浴びせかけられたことがある。当時はそういう「動物」が街にたむろしていたのだ。
30分位待った。人通りが途切れた瞬間、あたしたちは隙間に滑り込んだ。
隙間→「穴」
隙間には空き缶、壊れた掃除用具、ボロボロの革靴、コンクリートのかけら。ゴミが散乱しており、カビと古い家屋のような臭いがした。
奥に進むにつれてだんだんと狭くなってきた。服や頬が黒く汚れたパチンコ屋の外壁で擦れる。閉所恐怖症だったらパニクる場面だ。
なんとか隙間を抜けると、映画館の裏に出た。そこには鉄の非常階段があった。
「これっば上がるっぞ」
非常階段は柵があり、入り口には南京錠がかかっている。上がる、と言われてもどうやって?
「外の柵を登るっと! 落ちたらパチンコの壁でガリガリってなっけん気をつけんなね!」
わたしは言われた通り、先に登っていくE・Iの後を追った。柵は錆びていて手はすぐに赤茶色になった。非常階段とパチンコ屋の壁の間は、1メートルあるか無いか。確かに落ちたらザラついたコンクリート壁にぶつかって体のどこかが削れそうだ。擦り傷から破傷風になりそう。
「ついた、ここ!」
E・Iは壁を指差した。あたしは壁を見た。そこには確かに「穴」が空いていた。
さらば愛しの映画
「穴」をよく見るとそれは、内側と外側から金属の板を打ち付けられた窓だった。なぜそのようなことをしたのかは分からない。壊れた窓を修繕したのかもしれないが、だとするとかなりおそまつな出来だった。
わたしは「穴」に顔を近づけた。かすかに音が聴こえる。多分映画のセリフだ。しかし、モゴモゴとした低音だけしか届いてこなかった。
「穴」を覗き込んだ。見えたのは……映画だ。確かに映画なんだが、登場人物らしいものの動きが何となく分かる程度で、全体像はまるで判別できなかった。そもそも今見えているのが、スクリーンの裏側なのかどうかも分からない。
「すごいだろがー。タダで観られとるんぞ!」
ああ、すごいね……
E・Iと交互に数回「穴」を覗き込み、あたし達は再び隙間から商店街に戻った。夕飯の準備の時間だったのせいか、人通りは増えていた。隙間から出るとき、おばさんと目が合った。おばさんは不思議な顔をしていたが、無視した。ヤバイものが見られる高揚感とつまらない結果に終わった落胆。感情の振り子が大きく、おばさんに見られるなんてマジでどうでもいい。知るか。
改めて映画館を見た。そこには、手書きの看板があった。トレンディドラマに出てる俳優が主演のヤクザ映画。相変わらず手書きの看板に描かれた役者の顔は気の毒なほど微妙に歪んでいる。
その後。平成の始めにT劇場は閉館した。しばらくしてパチンコ屋も消えた。どちらも建物だけは残っていて、人の侵入を防ぐためバリケードで覆われている。当然、例の隙間も閉じられている。
E・Iとは小学校卒業とともに疎遠になった。県道を境に中学校の学区が分かれていて、商店街の子たちはS中へ進み、あたしはN中になった。
中学生になってしばらく経つと、洋服屋Dは休みの日が目立ってきた。そしてある日、倒産した。夜逃げ同然でどこかに家族事消えたとか、別の場所で別の仕事を始めたとか、そんな噂を聞いたが真相は分からない。バブルが弾けて数年経った時だった。
ここ数年商店街は再開発が進んだ。洋服屋Dの跡地だけではなく、多くの店が取り壊されて、公共施設に生まれ変わった。
一方、映画館は封鎖されたまま、隣接のパチンコ屋とともに取り壊されることなく「フリーズ」している。あの「穴」がまだあるとして、もう映画の残影すら見えないのだ。
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