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死後の世界を科学的に考えてみる

お久しぶりの note です。

一度間が空いてしまうと全然書けなくなってしまいますね。
一度重い腰(指?)を上げれば意外と書けるはずなのですが。。。

この記事でも書いてます)

さて、久々の note でいきなり「死後の世界」とか重そうなキーワードが出てきたんですがそんなに重くはありません。
ふと急に思ったことを書きたくなっただけなので身構えなくても暗くならなくても良いです。

死後の世界の話の前に、今この世界に生きている人たちはみんな三次元空間で生きています。

三次元とは縦と横と高さの三軸ある世界です。
平面だけではなく、奥行きがあります。
前後左右だけじゃなく、上下にも移動することができます。
3D空間です。



普通ですね。

そして、二次元だと、
縦と横、つまり平面です。

ファミコンのマリオの世界のイメージです。
紙に描いた絵のようなイメージです。

そして、一次元だと、
長さだけの世界。
つまり線です。

紙に書いた線のイメージ。(正確には紙に描いちゃうと面積あるけど)
長さはあるけど面積は無い状態です。

そして、0次元。
0次元は点。

長さも面積も無い状態。
紙に書いた点のイメージ。(正確には紙に描いちゃうとry)

ここまでは0,1,2,3次元のそれぞれの説明でした。

そしてもう一つ。次元というものはそれぞれの次元より低次元のものを認識することができます。

三次元空間に住んでいる人たち(自分達)は二次元 + 高さで構成されているので二次元を認識することができます。

二次元に住んでいる人(マリオ)は一次元 + 広さで構成されているので一次元を認識することができます。

一次元に住んでる人は0次元 + 方向で構成されているので0次元を認識することができます。

というように高次元の住人は低次元との足し算なので自分より低次元の存在を認識することができます。

でも逆に、低次元から高次元を認識することはできません。
二次元に住んでいるマリオは奥行きの概念が無いので三次元を認識することはできません。

長くなりましたが、ここまでが次元の説明です。

ようやく本題です。

死後の世界という概念は仏教でもキリスト教でも様々な宗教でその存在が語られていて、しかも時折こちら側の世界を覗いているとの話がありますよね。(ここでは真意はおいておいて…)

成仏しきれなかった死者の魂が時折幽霊として出てきたり、
お盆になると先祖の魂が現世に降りてきたり

のような話もいろんな言い伝えとしてありますよね(真意はおいておいて…)

というざっくりとした概念。
死者の世界はある & 死者はこちらを観測することができる
というのを仮定とすると、これって先程の次元の法則に当てはめることができそうです。

つまり、我々の世界(三次元)から、死ぬとそれよりも高次元の世界に移動している。

のではないでしょうか?

(時折幽霊として認識できるのは、直接観察することはできなくて、二次元の平面で無理やり三次元を表現するように実際には本質は見れていない…と仮定。三次元に置き換えた断面として見れる的な)

図:三次元の断面は二次元。同じように、四次元の断面は三次元としては認識できる

では高次元の死後の世界は実際には三次元 + 何が足されているのでしょうか?

これは低次元に生きている私達が高次元を認識することができないように実際にはわからないはずなんですが、仮にここを一般的に言われている時間軸だとすると

図:四次元 = 三次元 + 時間?

四次元 = 三次元 + 時間 だとすると時間を自由に移動するとこができそうです。

ということは、死後の世界は縦横無尽に過去から未来へ行き来ができる
のではないでしょうか。

…お、ということはもっと言うと、人が死ぬその瞬間から時間を超越して移動ができるのなら、死んだあとの人の魂がその人の死ぬ前の時空を越えて移動することが可能になりそうですよね。

量子論のシュレーディンガーの猫みたいな話になってきましたが、
死んだあとの自分と生きている今の自分がパラレルワールド的に同時に存在している世界が存在しているかもしれませんね…。


科学的?というか空想的な結論になってしまいましたが、死後の世界って誰も知らなくて陰鬱になりがちですが、こういう考えで前向きに考えてみるのもどうでしょうか。

死んだあとも、今生きてる世界に過去未来関係なく自由に行き来できて、しかも死んでいる自分と生きてる自分がパラレルワールドで存在できるのならちょっと視点が変わりませんかね。

ここまでの話を面白がって読んでくれた人は

この辺の本も是非オススメです。




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