なぜユダヤ人は嫌われるのか?
お元気様です!シン・歴史沼チャンネルのきーです。
ユダヤ人はなぜ世界中で迫害されるのか?
『聖書』が伝える古代イスラエル人やユダヤ人の歴史とは?
苦難の歴史を持つユダヤ人たちの楽園の国とはどこなのか?
意外と知らないユダヤと旧約聖書について深掘りしていきます。
このチャンネルは知識の量や深さに関係なく、歴史を楽しむコンテンツを聞き流しスタイルで紹介しているのでよかったらチャンネル登録よろしくお願いします。
ユダヤ教が誕生する
前回の動画では『旧約聖書』の創世記までのお話で、古代イスラエル民族の祖のヤコブの子供であるヨセフがエジプトの宰相となり、エジプトの国とイスラエル民族を大飢饉から救うという偉業をなしとげたところまでお話ししました。
シリーズとしてお話しているので、ぜひ前回分からご覧いただけるとわかりやすいと思います。
みなさんは、ユダヤ人やユダヤ教といわれてどんなことが思いつくでしょうか?
とても優秀で金融業に長けていたり、世界を裏で支配しているという陰謀論や、世界史に詳しい人にはホロコーストなどの迫害される歴史を持つことを知っている方も多いのではないでしょうか?
ユダヤ教というのは、ヘブライ人の民族宗教であり、ユダヤ教の中核的な信念には、モーセによって授けられた十戒やモーセ五書の教え、唯一神への信仰、律法の重視などが含まれます。
ユダヤ教では、安息日や祝祭日などの儀式や伝統も重要です。
このユダヤ教の中核の信念は、創世記以降のストーリーから続く壮絶な歴史から形成され、その歴史を持つことから唯一神ヤハウェを信仰し救世主メシアを待望する民となっていき、今日まで世界の歴史において強烈な影響を及ぼしていくこととなるのです。
そのため今回は、『旧約聖書』の創世記以降のお話から紹介し、なぜユダヤ人は嫌われたのか?そして古代日本との関りについて迫っていきます。
①出エジプト:モーセの登場
エジプトで奴隷の身分となっていたイスラエル人がモーセによる神の導きの下、エジプトからの解放されるお話が”出エジプト”の物語です。
エジプトで宰相になったヨセフの計らいによりエジプトで暮らしていたイスラエル民族でしたが、時がたつにつれ奴隷の身分となってしまっていました。
エジプトの王様ファラオが、エジプト内にイスラエル人が増えすぎたのを恐れ、「イスラエル人の男が生まれたら、全員殺してしまえ!」と命じました。
そんなときにエジプトで生まれたのが”預言者:モーセ”です。
モーセもイスラエル人ですから、親は必死にモーセを隠そうとしましたが、隠しきれず、ついにモーセをナイル川の岸に置き去りにすることにしました。
すると、なんと置き去りにされたモーセを、たまたまエジプトの王女が発見。
モーセは、エジプトの王子として育てられることとなります。
成長したモーセは、あるとき同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見て、ヘブライ人を助けようとしました。
ですが、はからずもエジプト人を殺害してしまいます。
これが発覚し、ファラオに命を狙われたモーセは逃れてミディアンの地(アラビア半島)に住み始めました。
②出エジプト:神様から出エジプトの使命を受けるモーセ
そんなある日、モーセは神様の声が聞こえ、使命を受けることになります。
指令の内容とは、「イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し、カナンの地を目指しなさい。」
あまりの大役に、モーセは最初、素直に神様の言葉を受け入れることができませんでしたが、神様による何度かの説得により、最終的にこの使命を受け入れました。
そして兄のアロンと一緒にエジプトへ戻ることになったのです。
モーセは、王フォラオにイスラエル人解放を訴えます。
アロンは持っていた杖を蛇に変えて見せるもファラオはイスラエル人の解放を拒絶。
モーセはファラオを説得するために、エジプトに神が10の災いを下すことを伝えます。
するとファラオはヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めました。
③出エジプト:モーセが海を割り、カナンの地を目指す
ユダヤ教のお祭りで「過ぎ越祭り」というものがあります。
この祭りの起源は出エジプト記にあります。
モーセがファラオと交渉する際に神が下した10の災いの10番目は、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子(その年に生まれた赤ちゃん)を撃つ」というものでした。
神はモーセに、二本の門柱と、鴨居に、子羊の血をつけよと伝え、エジプトのイスラエルの民たちはこれに従いました。
するとイスラエルの民たちにはこの10番目の災いは及ぶことはなく助かったのです。
そしてエジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉と酵母を入れないパン(「タネなしパン」(マッツァー))を食べ、神はこの出来事を記念として行うよう命じました。
これが「過越」とよばれるエジプトからの解放を祝うユダヤ教の宗教的記念日の起源です。
余談ですが、日本の神社の鳥居が赤いのも、この「過越の祭」が影響しているのではないか?ともいわれています。
そしてモーセ率いるイスラエル人たちがカナンの地を目指して歩いていると、急に惜しくなったのかファラオは心変わりをし、そして、なんとエジプト大軍を率いて、モーセたちを追って来たのです。
急いで逃げるにも、モーセたちの前には、大きな海。
イスラエル人たちもエジプトを出たことを後悔し始め、これは絶体絶命のピンチ!…とそのとき、モーセが海に向かって手を差し伸べると、とんでもないことが起こります。
なんと、海が左右に壁となって分かれたのです。
『旧約聖書』の中でもとても有名なシーンですね。
そしてモーセたちが海を渡り終えると、再びモーセは手を海に差し伸べると、分かれていた海は元に戻り、エジプト軍は海に飲み込まれてしまいました。
こうして、モーセたちは再びカナンの地を目指し始めたのです。
④出エジプト:モーセ十戒を授かる
無事にエジプトからの追っ手から逃れたモーセ一行ですが、カナンの地までの道のりは甘くはありませんでした。
40年間の逃避行のなかで、飢えがイスラエルの民を襲ったのです。
すると神様は、マナという食物を恵み、このマナのおかげでイスラエルの民たちは飢えをしのぐことができました。
そしてエジプトを出てから3ヵ月経った頃、モーセたちはシナイ山のふもとに着きました。
すると、モーセは神の言葉を聞くために、1人で山に登ることになりました。
そのシナイ山で、モーセは神様から10の戒め、“十戒”を受け取ります。
その内容とは…
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
あなたの父母を敬(うやま)え。
殺してはならない。
姦淫(かんいん)してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証(ぎしょう)してはならない。
隣人の家を欲してはならない。
モーセがシナイ山から下りてきて、この10の戒めを伝え、これに従うように促しました。
こうして神様とイスラエル人の間に契約が結ばれ、イスラエルの民たちはこの律法を守ることで神の民として祝福されることになります。
神が人に命じた十の戒めを「十戒」あるいは「モーセの十戒」と言い、十戒はイスラエル人が正しく生きるための基準として用いられ、旧約聖書における最重要箇所と言っても過言ではありません。
⑤イスラエル王国建国
神との契約を果たしたモーセ一行は、十戒を刻んだ石板であるモーセの石板と神からの恵まれた食物であるマナを入れる壺、そしてファラオの前で蛇へと変身したアロンの杖をいれた箱である”契約の箱”を先頭にシナイ山を出発し、カナンの地を目指しますが、モーセはカナンの地に入る前に亡くなってしまいます。
モーセの死後、ヨシュアがイスラエル民たちを率いていきます。
ヨシュアは、ヨルダン川を渡り、神様への強い信頼と圧倒的な指導力により、約束の地カナンを次々と占領していきます。
カナンを征服した後、ヨシュアはイスラエル人の12部族に土地を分配しました。
ようやく約束の地カナンにたどり着いたイスラエルの民たちですが、どうしても占領出来ない土地がありました。
それは海の民ペリシテ人の土地であったために、パレスチナと呼ばれています。
ペリシテ人のリーダーであるゴリアテとの戦いに頭を悩ませていたのが、イスラエル12部族から選ばれた王であるサウルでした。
そのとき現れたのが羊飼いの少年だったダビデです。
ダビデは袋に石を詰めてピューっと投げると、それがゴリアテに命中し勝利します。
するとサウルと血縁関係のないダビデが王になります。
ダビデはエルサレムを首都としてイスラエル王国が建国されます。
これが統一イスラエル王国であり、ヤコブの子孫からなるイスラエル12部族からなっています。
ダビデのあとを継いだのは、息子のソロモンです。
ソロモンは、エルサレム神殿を建てたことでも有名です。
契約の箱アークもソロモンによって、エルサレム神殿に納められました。
古代イスラエルの最盛期を築いたとされるソロモンですが、晩年は民に重税を課し、享楽におぼれ、自分の出身部族であるユダ族を贔屓するようになります。
それだけでなく、モーセの十戒でも禁じられている偶像崇拝やユダヤ教以外の信仰も容認するようになります。
ソロモンの長い統治は経済的繁栄と国際的名声をもたらしましたが、ソロモンの死後イスラエル王国はユダ族・ベニヤミン族の2部族からなる南ユダ王国と、残りの10部族からなる北イスラエル王国に分裂してしまいます。
⑥北イスラエル王国の滅亡
南北に分裂したイスラエル王国も長続きはしませんでした。
北イスラエル王国は紀元前722年アッシリア帝国によって滅ぼされてしまいます。
北イスラエル王国滅亡によって、10支族の民のうち指導者層は連れ去られ、あるいは世界各地に離散し、その後の行方は今でも不明のままです。
歴史の中に消えた彼らはイスラエルの失われた10支族とも呼ばれ、この世界に離散した北イスラエル王国の民が日本にたどり着き古代日本を作ったとされるのが日ユ同祖論です。
『旧約聖書』では、北イスラエル王国の民たちは禁じられていた偶像崇拝をし、ヤファエだけでなくバアル教など他の神も信仰する多神教になっていたため、北イスラエル王国は滅亡したという世界観になっています。
⑦南ユダ王国の滅亡
かろうじて残っていた南ユダ王国もそう長くは続きません。
アッシリア帝国に従属し、貢納を続けて属国同様となっていましたがその後、アッシリア帝国が滅亡後に興った新バビロニアによって、前586年に都イェルサレムの神殿も破壊され、滅亡します。
余談ですがこのとき、新バビロニアの軍がエルサレム神殿を探しても契約の箱アークが見つからず、いまだに行方がわからないため失われたアークと呼ばれ、その行方は世界中で注目されています。
このアークがあるかもしれない!と言われている場所が、日本にあって、それは徳島県にある剣山です。
古代日本に古代イスラエル人が来ていたとする”古代イスラエル渡来説”がありますが、日本の中でも古代イスラエルの影響を強く残る場所は徳島県だと思います。
徳島県の剣山では今でも毎年アークと形状が似ているといわれるお神輿を山頂まで運ぶというお祭りが、ノア方舟がアララト山に漂着した7/17に行われています。
このお祭りを体感し古代ユダヤと古代日本との関係を探求するツアーが開催されます。
私も参加いたしますので、ご興味のある方はこちらからご応募ください!
🌟きーちゃんと行くアーク伝説ゆかりの地と霊峰・剣山山頂大祭 (2024年7月16日~17日)
話を戻しますが…
南ユダ王国滅亡の際、多くのヘブライ人がバビロンに連行されてしまいます。
いわゆる「バビロン捕囚」です。
この「バビロン捕囚」が、世界史の上ほぼ常に行われてしまうことになるユダヤ人迫害のひとつの原因となっていったと思われます。
バビロンで捕囚としての生活を送る間に、民族信仰である唯一神ヤハウェに対する信仰を捨てることはなく、逆に民族的苦境の中でさらに信仰を強めていくことになります。
⑧バビロン捕囚のその後
バビロン捕囚という苦難を味わい、唯一神ヤハウェへの信仰を強めていきましたが、このバビロン捕囚も約50年ほどで終わりを迎えます。
ユダヤ人たちは、前538年にペルシア帝国のキュロス2世が新バビロニアを亡ぼした際に解放され、ユダ王国の故地、エルサレムに帰還し、ヤハウェ神殿の再建が認められます。
ペルシア帝国の宗教寛容策によって、彼らはユダヤ教を守るという形でユダヤ国家を維持することができました。
ちなみに”ユダヤ人”という呼び方はこのころからはじまります。
苦難を乗り越えることで唯一神ヤハウェを信仰する強烈な一神教のユダヤ教を完成させ、彼らが主にユダ族で南ユダの人々であったためにこの頃からユダヤ人と呼ぶようになります。
その後、ペルシア帝国がアレクサンドロス大王に亡ぼされると、パレスチナの地はセレウコス朝シリアの支配を受けることなり、その後もローマ属州として存在し続けます。
独立国家ではなくセレウコス朝や古代ローマの支配を受けながらパレスチナの地に住んでいたユダヤ人ですが、古代ローマ皇帝のハドリアヌスがヤハウェ神殿を破壊してローマの神であるジュピター(ユピテル)の神殿を建設しようとしたことに抵抗し、敗北。
パレスチナの地を追い出されてしまい、ユダヤ人は世界各地に離散し、ディアスポラの民となっていくのです。
ユダヤ人が嫌われる理由
前回からにわたって『旧約聖書』を読み解きながら、古代イスラエルの歴史についてみてきました。
古代イスラエルの歴史は苦難の連続だったのがお分かりいただけたと思います。
この苦難の歴史を持つからこそ、悲しいかな世界で嫌われてしまう原因を形成してしまったと考えられます。
苦難の歴史を歩んだゆえに、ユダヤ人が世界で嫌われてしまう原因は2つあります。
一つ目は、選民思想です。
選民思想とは、ヘブライ人だけがヤハウェの神に選ばれた民であり、神は必ずメシア(救世主)を送って救ってくれると信じるという考え方です。
そしてこの選民思想の根本は、神と契約を交わし神との約束を守る。ということからきています。
そのため神との約束をしたアブラハムの子孫であるヘブライ人の我々だけが特別なんだ…という考えになっていきます。
そしてもう一つ、モーセが神から授かり守ることを誓った律法を頑なに守ることが大切だ!ということになっていきます。
なぜなら律法は、ユダヤ教徒が神様と交わした契約だからです。
この選民思想と、律法順守の姿勢は、バビロン捕囚などの苦難の歴史を歩むことによってどんどん強くなっていきました。
土地を持つことができなかったユダヤ人たちは、キリスト教が汚らわしいと禁じていた金融業を生業にする人が多かったため「金に汚いユダヤ人」という悪いイメージもついてしまったというのも一つ嫌われる原因でしょう。
しかし根本原因はこの強烈な選民思想と律法順守の姿勢を、世界のどこに行っても変わることなく持ち続けてしまうこと、そしてそれがゆえに他の文化に馴染むことなかった…
そしてその苦難を乗り越えるために勉学に励むユダヤ人は優秀な人も多く、自分たちの文化を変えようとしないユダヤ人は世界中で嫌われ者になってしまったのです。
現在のイスラエルの国是でもある「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る」という言葉は、自分たちの文化や教えをどんな状況でも貫くユダヤ人の姿を現代にまで伝えています。
あのユダヤ人が馴染んだ国
強烈な選民思想と律法順守の姿勢が世界中どこに行っても馴染めず迫害されることとなったユダヤ人ですが、そんなユダヤ人が自分たちの教えや文化をほぼ捨てて馴染んだ国があります。
それは古代の日本です。
古代日本とユダヤの関係というと「日ユ同祖論」が有名です。
日ユ同祖論とは、日本人とユダヤ人は先祖を同じくするとし、行方不明となっているイスラエル10氏族の一つが日本人のルーツとする説です。
古代日本に古代イスラエル人やユダヤ人が来ていたことは文化や日本神道の中にも感じられることは、このチャンネルでも様々紹介してきました。
しかしフランス・イタリア美術史研究の第一人者である田中英道氏は「日ユ同化論」を唱えています。
「日ユ同化論」とは、日本人のルーツがイスラエル十氏族の一つだったのではなく、古代イスラエル人やユダヤ人の一部が日本列島に達し、もともとあった縄文時代からの日本の文化を受け入れて同化したという説です。
ユダヤ人たちは日本の神話の登場人物となり、天皇家を支え、古墳や神社を造り、日本の文化や芸能の形成や繁栄にも関わりました。
田中英道氏によれば、古代イスラエル人やユダヤ人の渡来には5つの波、タイミングがあったとし、第1波は出エジプトの頃。このころ日本は縄文晩期にあたります。
そのころに渡来した古代イスラエル人の1人が、日本神話のスサノオだそうです。
そして渡来の第2波は、アッシリアに国を追われた失われた10氏族の流れです。このころに渡来した古代イスラエル人がニギハヤヒのヤマト進出やヤマト国家成立に貢献した…というのが田中英道氏の説です。
第3波となるのは、秦の始皇帝の命で、徐福が連れてきた数千人の童男童女であり、これが秦氏としています。
その後、秦氏は波状的に渡来するとしています。
記紀や『新撰姓氏録』には、応神天皇の時代に中央アジアの弓月国から弓月君の率いる民が渡来したことを記していますが、田中英道氏はこれを第4波としています。
そしてユダヤ人渡来の第5波は、431年キリスト教の異端を決めるエフェソス公会議において、ネストリウス派キリスト教である景教が異端とされ、アジア方面に逃れた人達です。
彼らが日本にたどり着き、蘇我氏になったとしています。
ここからは私の考えですが、今でも日本の文化にユダヤ教的な文化が残っていることは、ユダヤ人が来ていた証拠ですし、それが日本の文化と馴染んで残っていること、それなのにユダヤ人として現在の日本に残っていないことを考えると「同化した」と考えることが自然です。
もちろん同化していったのは、ユダヤ人だけではないでしょう。
DNAをみれば朝鮮系大陸系東南アジア系オホーツク系などいろいろな人達が、古代日本に来ていますが、日本はすべてを同化しています。
この日本のいろんな文化を吸収して、独自の文化に形成させるという能力は世界史的に見ても凄いことだと思います。
田中英道氏の「日ユ同化論」は、どこまでがユダヤ勢力かなど疑問点はありますが、古代イスラエル人やユダヤ人が日本に同化していったということには私も賛成です。
まとめ
いかがでしょうか。
今回は『旧約聖書』に書かれた古代イスラエル人やユダヤ人の歴史から「ユダヤ人がなぜ嫌われるのか?」について迫っていきました。
強烈な選民思想と律法順守の姿勢を変えず世界と馴染まなかったユダヤ人が、日本列島では同化していったという「日ユ同化論」については、田中英道氏と茂木誠先生との共著の『日本とユダヤの古代史&世界史 - 縄文・神話から続く日本建国の真実』に詳しく書かれているので、気になる方は概要欄のリンクからチェックしてみてください!
【参考資料】(現在オーディオブックで0円で読めます!)
今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
また歴史を楽しめるコンテンツを配信していきますので、高評価やコメント、チャンネル登録、あとスーパーサンクス機能も使えるようになりましたので、応援よろしくお願いします。
ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。
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