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【超禁断】記紀神話に隠されたユダヤの暗号がヤバすぎる...!

お元気様です!歴史沼チャンネルのきーです。

旧約聖書に隠されている日本の天皇とユダヤの関係がヤバかった…。
古代日本と古代イスラエルの深すぎる関係性を超深堀りするシリーズ。
今回は、偶然では済まされない日本神話に隠されている旧約聖書のメッセージについてお話していきます。

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古代イスラエル渡来説とは?


みなさんの中には、古代イスラエル渡来説日ユ同祖論という言葉を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?

これは古代イスラエル王国が滅亡後、その元イスラエル王国の民たちが古代の日本列島に辿りつき、古代の日本に多大なる影響を残しているのではないか?という説です。

旧約聖書には古代イスラエルには12支族がいたと記されており、彼らは紀元前1021年頃にイスラエル王国を建国、紀元前922年頃に北と南に分裂後、北イスラエル王国は紀元前722年にアッシリアの侵攻を受け滅亡、やがて南にあったユダ王国も古代ローマ帝国によって滅亡してしまいます。

祖国を追われ、ディアスポラ(離散)の歴史を持つ古代イスラエル人(ユダヤ人)がシルクロードを東へ東へ行った先にあったのが日本列島であり、この日本列島には古代イスラエルの痕跡を残すものがたくさんの存在するため、古代日本にはディアスポラした古代イスラエル人がたくさん来ていたとする『古代イスラエル渡来説』や、渡来しただけではなく日本人の祖先は北イスラエル王国人なんだ!という『日ユ同祖論』がささやかれているのです。

イザナギとイザナミの結婚式


ユーラシア大陸の東端にある日本列島に、西の端いた古代イスラエル人が来ていたというのは信じられない方も多いことでしょう。

しかし古代イスラエル人が日本にやってきていて、日本の文化に影響を及ぼしているとしか思えないことがたくさんあります。

それは古事記や日本書紀いわゆる『記紀』で語られる神話の中にも存在します。

まず最初に紹介するのはイザナギイザナミです。

イザナギとイザナミといえば、神代七代の最後に誕生した兄妹神で国生みを行い日本列島を誕生させたり、三貴子とよばれる天照大神、ツキヨミ、スサノオを誕生させる神でもあります。

『古事記』には、イザナギとイザナミの結婚式の様子を記載しています。
イザナギとイザナミは国生みをする前にある儀式を行なっていました。
それは天の御柱という高天原(天界)に通じる光の柱をイザナギは左からイザナミは右から柱を周り出会ったところでお互いを褒め合うのです。

褒め合った際にイザナミが言った言葉は「あなにやし えをとこを」、イザナギは、「あなにやし えをとめを」と言ったと「古事記」には書かれています。

一般的には、「あなにやし えをとこを」の意味は、「ああ、なんといいおとこなんでしょう!」という意味であり、「あなにやし えをとめを」は、「ああ、なんといいおとめなんでしょう」という意味だとされています。

しかしイザナギとイザナミがお互いに言い合ったセリフは、古代イスラエルが使った言葉であるヘブライ語で解釈することができます。

ここで、「ああ、なんと・・・・・・」の意味とされている「アナニヤシ」という言葉は、ヘブライ語の「アニーアシー」ではないか、といわれいます。
その意味を訳すと「私は結婚します」という意味であり、もし「アナニヤシ」がヘブライ語の「アニーアシー」つまり「私は結婚します」という意味だとしたら、『古事記』のイザナギとイザナミの結婚のシーンの言葉の意味は、「あなにやし えをとこを」(私は結婚します。素晴らしい男性と)「あなにやし えをとめを」(私は結婚します。素晴らしい乙女と)となり、意味が通じるのです。

イザナギとイザナミの名前の由来

そう考えると、イザナギとイザナミの名前にも古代イスラエルの影響を感じることができます。

「イザナギ」という名前の意味は、実はヘブライ語の「イザヤ」に由来していたと考えられるのです。
預言者の名前である「イザヤ」はヘブライ語で「神の救い」を意味し、頭文字2つの「イザ」は「救い」を意味します。
また、王子、統治者のことをヘブライ語では(nagid、ナギッド)と呼び、実際の発音は語尾が脱落する為、「ナギッ」となります。
例えば旧約聖書のダニエル書9章25節では、油を注がれた、選ばれた王子のことを(メシアッ・ナギッ)と呼び、この言葉は救世主を意味する言葉でもあります。
そして「イザ」の語尾に王子、君主を意味する「ナギッ」を付け加えると実際の発音は「イザャナギッ」となり、「神の救いの君主」「イザヤ王子」の意味となるのです。

またヘブライ語にはナギッドと同義語の、ナミと発音される言葉もあり、「イザナミ」もイザナギと同様に、「イザ」という言葉の語尾に合わさり、「救いの統治者」を意味する「イザナミ」の語源となったのではないかといわれています。
それが、イザナギの妻にあたる「イザナミ」の呼び名になった由縁ではないでしょうか?

天の岩戸隠れで唱えれらた祝詞


記紀神話の中にある古代イスラエルの痕跡はこれだけではありません。

記紀神話の中でも有名なエピソードである天の岩戸神話にも、ヘブライ語で解釈できるものがあるのです。

天の岩戸神話といえば、スサノオの狼藉に怒り悲しんだ太陽神である天照大神が天の岩戸にお隠れになってしまい世の中が真っ暗になってしまいました。
天照大神をどうにか外に出す方法はないか、神々が思案しアメノウズメという女神が踊り出すと、その様子を見た神々が笑い出しました。
神々の楽しそうな様子が気になった天照大神が、岩戸から顔を出した瞬間引っ張り出すことに成功し、世の中がまた明るくなった。という記紀神話の中でも有名なエピソードです。

アメノウズメが岩屋戸の前で踊った際に、アメノコヤネが他の神々が見守る中で「祝詞」を唱えたといわれています。

記紀にはその祝詞がどのようなものだったかは記されていませんが、古い伝承によるとその祝詞は「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とうぉ」だったといわれています。
実際この言葉は今も神道の鎮魂法の祓詞として用いられています。

これは少し訛りを修正すればヘブル語では、「ひぁ、ふぁ、み、よっ、つぃぁ、ま、なーね、やあ、かへな、たうぉ」となり、意訳すれば、「誰がその美しいかた(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が出て来るために、誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう」というのです。
あるいは、「だが、そのうるわしめを出すのやら。いざないに、いかなる言葉をかけるやら」という美しい詩文となるのです。

「ひとつ、ふたつ、みっつ…」と昔から数を数える言葉はあるにもかかわらず、「ひい、ふう、みい、よお…」も同じような使われ方をしますが、それはもともとヘブライ語だったかもしれません。

天皇とユダヤ王との類似点


記紀の中で語らえるエピソードと、古代イスラエル類似点はこれだけではありません。

神話だけでなく、古代天皇に関するエピソードと旧約聖書に書かれるユダヤの王とのエピソードにも類似点があります。

たとえば、ダビデ王のエピソード崇神天皇のエピソードです。
ダビデ王とは、イスラエル王国の第2代の王です。
紀元前1003年に即位し、ペリシテ人やカナーン人を征服して都のエルサレムを建設し、繁栄の基礎を築いた王様です。
ダビデ王は理想的な国王として旧約聖書に描かれており、ミケランジェロが製作したダビデ像のモデルとなる有名な王様です。

一方崇神天皇は、日本の第10代の天皇です。
祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる天皇です。
10代天皇でありながら「ハツクニシラススメラミコト」という別称があることも有名でしょう。

旧約聖書には、ダビデ王の時代に3年間の飢饉がありそれに続いて悪疫により、7万人が死んだとあります。
一方、日本書紀によれば、崇神天皇の治世に悪疫が3年間続き、人口の半数が死んだと書かれています。

そしてこの2人の王は、この惨状の責任を感じて、神に罰を申し立てるのです。
ダビデ王はそれを預言者を通じて神に願い、崇神天皇は「占い」を行って神に願いました。

さらに古事記をみると、崇神天皇は叔父であるタケハニヤス王と戦いますがその地は「イドミ」です。
そしてダビデ王が戦った地は「エドム」であり、音の類似もあります。

聖書によれば、ダビデ王の子はソロモン王となっています。
ソロモン王は、父ダビデがエルサレムにもたらした「契約の箱」と呼ばれるユダヤの三種の神器を祀る神殿を建築しました。俗にエルサレム神殿です。

一方、日本書紀によれば崇神天皇の子は垂仁天皇です。
伊勢神宮を建立したのは垂仁天皇であり、ダビデ王の子ソロモン王と、崇神天皇の子、垂仁天皇にも対応関係が見られます。

ほかには、イスラエル初代の王サウルと日本の第14代天皇である仲哀天皇の間にも興味深い対応関係があります。
聖書によればサウルは「美しい若い男で、民の誰よりも肩から上だけ高かった」とされており、一方、日本書紀には仲哀天皇は「容姿端麗で、身丈は10尺あった」と記されおり、両者とも身長が非常に高く美男子だったことがわかります。

これだけでは単なる偶然ですが、サウルはベニヤミン族の出身でしたが、ベニヤミン族の領地には「アナトテ」という有名な街があります。
一方仲哀天皇は、古事記によれば熊襲討伐のために「穴門(アナト)」の地に滞在したとされており、「アナトテ」と「アナト」はよく似ています。

またサウルは、神の言葉に従わない罪を犯して早死にしますが、同様に仲哀天皇も后である神功皇后が神がかりをして神託を受けたにもかかわらずこれを無視したことにより急死します。

サウル王と仲哀天皇には、ダビデ王・ソロモン王と崇神天皇・垂仁天皇のような系図の一致は見られません。

しかし仲哀天皇の后である神功皇后は、のちに15代天皇になる応神天皇を産みますが、この応神天皇の出産は仲哀天皇が急死したあと十月十日後であるため、仲哀天皇の実子ではないという説もあります。

そしてダビデ王は一介の羊飼いの少年が王になっているため、先代の王であるサウル王との血縁関係はありません。

崇神天皇はユダヤ系の天皇か?


ここからは私の考察になりますが、10代崇神天皇から14代仲哀天皇まではもしかしたら、自身がユダヤ系だったか、もしくはユダヤ系勢力が担ぎ上げた天皇だったかもしれません。

日本の初代天皇は神武天皇ですが、初代の神武天皇にも10代崇神天皇にも同じ「ハツクニシラススメラミコト」という別称があります。

初代の神武天皇に”はじめて国を治めた天皇”を意味する名前が付けられていることは理解できますが、10代の崇神天皇に同じ名前が付けられているというのは不思議です。

しかし10代崇神天皇のときに天皇の系譜もしくは支持基盤の勢力が変わって、新たに国を治めなおした…と考えるといかがでしょうか?

崇神天皇の時代というのは、『魏志倭人伝』に書かれた倭国大乱の後期の時代とかぶるので、倭国の勢力バランスが変わっていても不思議ではありません。

もし崇神天皇自身やもしくはその支持母体がユダヤ系であったならば、ユダヤの伝説的な王たちになぞられて崇神天皇や垂仁天皇の偉業を記録したことも考えられるでしょう。

そしてサウル王と第14代仲哀天皇に対応関係があるのは、ユダヤ勢力の大王の最後が第14代仲哀天皇であることを暗示しているのかもしれません。

神託を無視して早世したサウル王と、血縁関係がない次代の王ダビデが誕生したことは、同じく神託を無視して早世した第14代仲哀天皇と第15代応神天皇では天皇の系譜が変わったことを暗示しているとも考えられます。

ここはまだ軽い考察段階ですが、記紀のエピソードと旧約聖書のエピソードの類似点がここまであれば、無関係とはいえないのではないでしょうか?

まとめ:記紀は旧約聖書との繋がりが深い

いかがでしょうか?
今回は記紀のエピソードと旧約聖書に記されているエピソードの類似点について紹介しました。

記紀のエピソードだけでなく、日本の文化や日本神道にまで広げれば古代日本と古代イスラエルのつながりはもっと深くなります。

ここまでの共通点を見れば、日本とユダヤが同祖だったとはいえなくても、古代イスラエル人が日本列島に来ていたことは疑いようがないように思うのは私だけでしょうか。

今回の動画以外にも、古代イスラエルと古代日本のつながりを感じられる動画をUPしていますのでそちらも参考にされてください。

今回の参考文献は、ラビ・マーヴィン・トケイヤー著作、久保有政さん訳の『日本ユダヤ封印の古代史』です。
古代イスラエルと古代日本の関係について迫っている本なので、興味のある方は概要欄のリンクからチェックしてみてください。

今回の動画につかった台本も公開しています。
文字で今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!

今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
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ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!

この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。



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