【世界が震撼している】世界四大文明を超えた?縄文人の文化レベルがヤバすぎる!
お元気様です!歴史沼チャンネルのきーです。
最新研究でわかった縄文時代の文化がヤバかった…
世界中が驚愕している縄文時代の新事実…
異常すぎる…縄文時代の日本の文化レベルについてや、なぜ世界四大文明に入らないのかに迫っていきます!
このチャンネルは知識の量や深さに関係なく、歴史を楽しむコンテンツを聞き流しスタイルで紹介しているのでよかったらチャンネル登録よろしくお願いします。
YouTubeで見たい方はこちら。
覆される縄文時代
縄文時代といえば、歴史の授業でも印象に残らないような扱いをされ、稲作が始まる前の狩猟採集を行っていた時代...と認識している方も多いのではないでしょうか?
なかには、日本の縄文時代は世界史的にも遅れている時代だと思っている方も少なくないでしょう。
しかし現在、考古学の進歩や最新の科学技術により『世界的に遅れていた縄文時代』という常識が覆されています。
縄文時代とは
まず縄文時代とは…というお話からはじめましょう。
縄文時代とは、紀元前16,000年ころから1万年以上続いた日本の歴史時代区分で一番長く続いた時代です。
氷河期が終わるとともに、石器を主な道具としていた旧石器時代は終わりを告げ、急速に温暖化が進み、ドングリ類やクリ・クルミが実る豊かな落葉広葉樹の森が広がり、海面の上昇や降雨によって運ばれた土砂の堆積によって、魚介類が豊富に生育できる日本列島が形成され、縄文時代がはじまります。
縄文時代は、使われていた土器の特徴などから古い順に、草創(そうそう)期、早期、前期、中期、後期、晩(ばん)期の6つの時代に分けられます。
草創期には、日本列島が大陸から分離し始めゾウなどの大型哺乳類が滅びて、シカ、イノシシなどの中型哺乳類が縄文人の獲物となっていったことにより、石器もそれに合わせて変化させていました。
縄文草創期の遺跡として有名な青森県の大平山元遺跡では、東アジア最古級の土器片も見つかっています。
最古の土器は模様のない無文で、その後細く盛り上がった線の模様の隆起線文、爪で付けた模様の爪形文土器ができ、約1万年前に縄目の模様のついた縄文土器がでてきました。
早期には日本列島は完全に大陸と分離し、食糧は本格的に小型の哺乳類が中心となったほか、土器による煮炊きが始まります。
縄文人たちはドングリやクルミなどの栽培を始め、それを土器で調理しました。
なのでこの時期の土器は、土器を炉に立てたり、周りを石で支えたりして使われていたため尖底土器と呼ばれる底が尖っているのが特徴です。
前期には集落がつくられるようになり、独特な墓制も成立していきます。
中期には集落が大規模かつ、多様化し始めます。
集落の中に貯蔵施設や、貝塚が形成されています。
より食べやすい食料を求めて、ドングリからクリへと関心を移していきました。
縄文土器の中で唯一国宝に指定されている、有名な火焔土器は縄文中期の土器です。
後期には、木をくりぬいて作られた丸木舟での交易が盛んになり、集落同士の結びつきが強くなっていきます。
集落の中の祭祀場が多様になり、青森県の三内丸山遺跡からは日本最多となる2,000点を超える土偶など、まつりの道具が大量に出土していたり、大湯環状列石のようなストーンサークルがあったりと祭祀・儀礼が長期間にわたり継続して行われていたことを物語っています。
そして晩期になれば、また寒冷化がはじまったことでクリなどの食料の獲得がうまくいかなくなり、集落も小規模化し分散していきます。
土偶界の有名人である遮光器土偶が出土した亀ヶ岡遺跡は縄文晩期にあたる遺跡です。
遮光器土偶を見てもわかるように、高度な精神文化があったことが示されています。
世界が驚愕する縄文時代のスゴさ
今まで縄文時代について概要の説明をしてきました。
しかしではなぜ今世界から縄文時代が注目されているのでしょうか?
では世界中が縄文時代のなにに驚愕しているのかについて迫っていきましょう。
世界最古級で最長の時代
まず最初にあげられるのは、縄文時代は世界最古級であるということです。
縄文時代の始まりは様々いわれていますが、約16,000年前だとされています。
世界四大文明であるメソポタミア文明の始まりは約7,000年前、エジプト文明・インダス文明は約5,000年前なので、縄文時代の始まりが16,000年前というのは数千年単位というレベル違いの驚異の古さを誇っています。
青森県の大平山元遺跡から出土した石鏃は放射線炭素年代測定法の結果16,500年前のものであり、中国湖南省で見つかった18,000年前の土器に次ぐ、世界最古級であることが認定されました。
沖縄では23,000年前のものとされる世界最古の釣り針も発見されています。
戦争の痕跡がない
そして縄文時代のスゴさは、レベル違いの古さだけではありません。
縄文時代のその長さも、世界史的にレベル違いの長さです。
日本史の時代区分の中でも最長の縄文時代ですが、世界史と見比べてみてもその長さは段違いなのです。
エジプト文明は約3000年、インダス文明にいたっては約2000年しか続いていません。
しかし縄文時代は約1万年以上続いています。
エジプト文明も含め、メソポタミア文明、中国文明も続いているといってもその期間中いろんな王朝ができては滅亡を繰り返しています。
それは世界の文明が、その数千年間の間に戦争を繰り返してきたことを表します。
しかし縄文時代の場合、1万年という長期間にもかかわらず戦争の後が見つかっていません。
縄文人の遺骨のうち外傷によって亡くなっていたのは10%を少し超えるぐらいで、矢が刺さった人骨も見つかっていません。
それだけなく発掘された武器は、狩猟用のものしかなく対人用の戦争に使われた武器は出土していません。
数千年間の間に何度も戦争を繰り返し王朝交代が起こっていた世界の文明と比べると、日本の縄文時代がどれだけ平和であり、その平和が1万年という長期にわたって続いていたことのスゴイさ…が理解できるのではないでしょうか?
DNAが異常すぎる
縄文時代が1万年もの長期間戦争がなかったことがスゴイ!というと、大陸にあっていろんな人種や民族の流入が激しい世界の文明たちと比べて、日本列島は島国で限られた人たちだけだったから平和が保たれただけ!と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし現代のDNA検査で、これは完全に否定されています。
母方の祖先を辿ることができるミトコンドリアDNAは、4割は東アジア全体の最大グループであるハプログループDですが、そのほかは多種多様なDNAを残しています。
これは、アフリカを旅立った人類のほどんどのDNAが日本にたどり着いていている。とも言われています。
縄文時代とは、さまざまな人々が渡ってきて多様な人々の集合体だったのです。
ある研究者は世界的に特異な日本のDNAの状況に「人類のほどんどのDNAが日本にたどり着いて日本にDANが保管されている」と言葉を残しています。
1万年という長い間、多様な人々を受け入れながら戦争をしなかった縄文時代は世界的にスゴイことなのです。
縄文人のDNAについては、こちらの動画で詳しく説明しているので日本人のルーツについて興味のある方はこちらの動画もご覧ください!
定住して狩猟採集をしていた
縄文人のスゴさはそれだけではありません、その生活スタイルも世界的に異質なのです。
縄文人はクリなど木の実を採取したり、小型の哺乳類を捕まえたりと狩猟採集生活を基本としていました。
狩猟採集生活というのは、基本的には獲物を求めて各地を転々とするのが一般的です。
キャンプ生活をしながら、その日暮らしをするのが狩猟採集社会です。
しかし縄文時代は、一か所に定住しながら狩猟採集生活を送っていたのです。
石川県の真脇遺跡では、縄文時代前期(約6,000年前)から晩期(2,300年前)までの約4,000年間、人々が住み続けて繁栄した集落が見つかっています。
定住しながら狩猟採集生活を続けることができた理由として、山が多く豊かな森が広がっていたことと縄文海進と降雨によって運ばれた土砂の堆積によって、魚介類が豊富にとれる海が近かったことがあげられるでしょう。
※縄文海進:最終氷期以降の海面上昇に伴い、日本周辺で現在の海岸線よりも奥まで海が浸入したこと
それだけでなく、のちに縄文カレンダーといわれるほど木の実や獲物を捕れる場所や時期を熟知していたり、土器をつかって食料を煮炊きしたり、保存したりできたこともあげられます。
長期間の定住狩猟採集生活を営むことができたのは、縄文人が自然に合わせた道具を生み出したり、オスの成獣しか狩らないなどルールを設けたりするなど縄文人の高い技術力と自然に畏敬の念をもつ崇高な精神性があったからではないでしょうか?
四大文明に入らない理由
今まで世界四大文明より古く、世界が驚愕する縄文時代のスゴさについて紹介してきました。
しかし縄文時代は世界四大文明には数えられません。
それはなぜなのか…それは縄文時代が豊かすぎたからでしょう。
世界四大文明について習う時に欠かせないのは、すべての文明が大きな川のほとりで起こってるということです。
「エジプトはナイルのたまもの」と言われたりしますが、ではなぜ大きな川のほとりで文明が起こるのでしょうか?
それは大きな川のほとりでなければ、人間が住めなかったからです。
大きな川のほとりしか豊かな土地がなかったから、そこに人間が集中します。
たくさんの人間が集中すれば、そこに管理したり情報を共有するために文字が生まれます。
上下関係が生まれ、威信財としてピラミッドのような大きな建築物も誕生します。
しかし日本の縄文時代はどうでしょうか?
日本中いたるところで定住しながらでも、狩猟採集生活ができるほど豊かでした。
豊かすぎて一か所に人口が集中することがなく、文明と呼ばれる材料である文字や大きな建築物も生まれにくい環境だったのです。
しかし青森県の三内丸山遺跡を見れば、大規模な拠点集落の跡もありますし、縄文タワーとも呼ばれる高度な建築物も存在します。
人が集まるところには文字が生まれます。
三内丸山遺跡など縄文遺跡の研究がどんどん進み、文字が発見されたり縄文タワーなどの建築物の解明が進めば縄文時代が世界最古の文明として認められる日も来るのかもしれません。
まとめ
いかがでしょうか?
今回は、世界が驚愕する縄文時代の文化のスゴさについて紹介してきました。
これは私の持論ですが、1番凄いのは、縄文文化が切れ目なく現代の私たちに引き継がれることではないでしょうか?
縄文文化はのちの弥生文化に影響を与え、稲作などの弥生文化はのちのヤマト王権へにつながっていきました。
そのヤマト王権が現代の私たちの国の基礎として、繋がっているのです。
世界の文明たちが何度為政者が変わり、何度文化が途切れたかを考えると、世界最古級の縄文文化が脈々と今でも続いているというのは誇ってよいことだと私は思います。
今回の参考文献は、概要欄にリンクを貼っているので興味のある方は概要欄にリンクからチェックしてみてください。
今回の動画につかった台本も公開しています。
文字で今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!
今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
また歴史を楽しめるコンテンツを配信していきますので、高評価やコメント、チャンネル登録、あとスーパーサンクス機能も使えるようになりましたので、よろしくお願いいたします!
ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史本プレゼンチャンネル】の動画を、テキストにしたものです。
【きーの歴史本プレゼンチャンネル】はこちら💁♀️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?