【執着】人を形で捉える

こんにちは、keyです。

皆さんは、好きなものありますか?

毎日欠かさずしていることとか、これがないと生きていけないこととか。

ある人にとって、それはスポーツだったりアイドルだったり食べ物だったり音楽だったり。
まさに十人十色ですね。


もし、それらが急に消えてしまったら?自分の元から離れてしまったら?


あなたはどう思いますか?どうしますか?


スポーツだったら、似たような競技を初めてみるのも面白いですね。
食べ物だったら、ちょっと口さみしいですが、似たようなものはすぐに見つかりそうです。

でも、
人だったら?あなたの身近な人だったら?あなたが愛してやまない人だったら?

執着、というのはそれしかないと思い込んでしまうことだと私は思っています。
悲しいことに、人は、唯一無二で、代替することができないものです。

だから、誰かと関わって、深く知れば知るほど、それはおのずとその人に執着していることになるのかもしれません。


人は、凸凹してます。
だから、誰かに近づけば近づくほど、自分の形も変わります。

近づいても近づいても、自分が心地いいのならば、その人と私の形がぴったりと合わさるようになっているのでしょう。

もし、しんどくなってしまったら、形が合っていないのかもしれませんね。

でも、一度自分の形を変えてしまったら、元に戻すのは大変です。
その人の形に合うように、せっかくここまで自分を変えてきたのに。

元の形を思い出すことは非常に難しく、大変で、時間がかかることで、めんどくさい道のりです。

だから、もういいやと思ってしまいます。ちょっとくらい形が合っていなくても、我慢しようと思います。

そうすると、気づけば元の形が跡形も無くなく消え去ってしまっているくらい、お相手の形に染まうことがあります。

もはや離れることができなくなってしまいました。

これが、執着です。私はそう思っています。


相手がどんなに変な形になっていても、自分はその人としかぴったり合わないと思い込んでしまいます。


もしその状態が居心地がよく、自分自身が満たされていると感じるのならば、それは運がよかったのでしょう。
大切にするといいと思います。


でも、そんな運のいいことばかりではありません。
もしその人との形がしんどいならば、ゆっくりでいいのでその型から離れてみてください。

おすすめは一気に離れてしまうことですが、大抵の人はそれをしてしまうと心が耐えられなくなってしまいます。
なので無理せず、ゆっくり自分の形を取り戻してみましょう。

おそらく、それで得た自分の形は、新しい形になっていると思います。
一度誰かの形に合わせてしまうと、元の自分の形に戻ることは至難の業です。
それに、形は無限にあるので、同じ形だと思ってもよく見たら違ったりしています。

前の形のほうがよかったと思う人もいると思いますが、とにかく受け入れてみてください。


なぜなら、新しい形になったということは、他の新しい誰かと合う形を得たとも考えられるからです。

前の形ではピッタリと合うことができなかった人と、もしかしたら合うようになっているかもしれません。

逆に、前の形でピッタリと合っていた人と、合わなくなってしまうかもしれません。


でも、それでいいのです。


ついつい、人は人のことを決めつけてしまいます。
あの人はあんな人だ、この人はこんな人だ。自分はこうゆう人間だ、とか。

けれども、人はふにゃふにゃと自由自在に形を変えられるものなので、決めつけることはできません。
たまたま、その人はその時にそんな形をしていただけなのです。


芦田愛菜さんのスピーチで、とても好きなものがあります。
「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思った」

ちょっと長いですね。読んでくれてありがとうございます。


人は色々な形をしているので、上から見たら円でも、横から見たら四角だったり。はたまた立体で見たら円柱だったと気づいたり。


自分の知らない誰かの一面を知るのは、好奇心旺盛な私でさえも、少し臆病になってしまうものです。

更に言えば、自分の知らない自分を知ることは、もっと怖いです。
薄々気づいていた自分の形に気づいたり、認めてあげたりすることは、もっともっと怖いです。


けれど、勇気を出して自分の形を俯瞰してみると、自分に合う形を見つけやすくなるかもしれませんね。


さて、今までずっと抽象的なことについて書いていましたが、あなたはどんなものに当てはめて読んだのでしょうか。

ある人は、家族かもしれません。ある人はパートナーかもしれません。
他にも、友達、職場の先輩、バイトの同期、、、。


こんなことを言うと、なんて寂しい人間なんだろうと思うかもしれませんね。
人は支え合って生きているのも事実ですが、生まれた瞬間も死ぬ瞬間も一人というのも事実です。本質的には、人は孤独ないきものです。

でも、それでも、人は繋がりを求めます。
傷ついても傷ついても、なお人と繋がろうとします。

かの有名な心理学者アルフレッド・アドラーも言っているように、すべての悩みは対人関係の悩みです。

にも関わらず、人は人を求めます。
人に、執着します。


それが、人間らしさなのかもしれません。

いつか別れると分かっていても、それは今日じゃなかったんだ
を積み重ねる日々を送ればいいのかもしれません。

どうしても我慢ができないときが来たら、お互い新しい形を探す旅を始めればいいのです。
それだけなのです。

だから、年を重ねても仲睦まじいご夫婦や、大人になっても仲の良い幼馴染を持っている方を見かけると、
とても長い時間積み重ねてきたんだなあと思います。


いつかは別れてしまうかもしれないけれど、それは今日じゃなかったみたい。
それくらいの気持ちで、今の私を認めてくれる人のことを、大切にしたいです。


執着してしまっている人はいますか?
その人と居る自分の形は好きですか?


去るときは、かっこよく去りたいものです。









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