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「乾杯ループ」第三話

第三話「缶チューハイ」


彼女と乾杯をするたびに、初めての乾杯の瞬間にループしている。

僕はそのことに気づいた後、飲み会を平常通りこなし、彼女との乾杯を避けて帰路についた。自宅の扉を開け、靴を脱ぎ、まっすぐにデスクへと向かう。白紙のノートとボールペンを取り出し、自分の状況をまとめていく。

まず、僕にとってこの世界は”5周目”だということ。
1週目、飲み会中に彼女の白いスカートを汚し、3週間を過ごしたのち期末試験終わりの飲み会で彼女と再会し、始めの乾杯でループ。
2週目、飲み会を平常にこなし、締めの乾杯でループ。
3週目、飲み会が始まってすぐに恐怖で慌て、その場を取り繕うために彼女に再度乾杯してループ。
4週目、ループの原因に気づき、確認のため再度彼女に乾杯をしてループ。
5週目、飲み会を平常通りこなし、締めの乾杯では彼女にだけグラスをぶつけずにループがないまま帰宅し、今に至る。

やはりこのループの条件は、「彼女との乾杯」だ。
1週目の飲み会では、僕はスカートを汚してしまったことで酒を飲みすぎた結果、彼女と乾杯をしないまま帰宅したのだろう。3週間後の飲み会で乾杯した際にループが起こったということは、時間や場所などの細かい条件はない。ただ、彼女と乾杯、正確にはお互いの持っているグラスをぶつけ合った瞬間にこのループは起こる。

「ふぅ。」

僕は一度息を吐き、椅子の背にもたれかかった。天井を見つめ、彼女を始めて見た瞬間のことを思い出していた。

まるで、時が止まったように、その一瞬が長い時間に感じられた。彼女の周りを光が差し、うるさいはずの居酒屋の喧騒が消え、その世界に僕と彼女以外いなくなってしまったような感覚。

僕はただ衝撃的なほどの一目惚れが起こした錯覚だと思っていたが、あの瞬間に何か超常的なことが起こったのだとしたら、納得がいく。ような気がする。今思えば、明らかに普通の感覚ではなかったのだ。
だからといってこの超常現象が起こる原因も、抜け出し方も全く分からないのだが。
一目惚れというのは、奇跡的で神秘的だというが、これはあまりにも神秘すぎるだろう、と神に問いかけるような気分で、僕はゆっくりと立ち上がり、ベッドに横たえた。ループにより同じ時間を繰り返したことで1日以上の疲れが溜まっていた僕はすぐに眠りについた。






翌朝、僕はいつもより早い時間に目を覚ました。アラームをかけない日に限って早起きができるのはなぜなんだろうか、どうでもいいことを考えながら寝ぼけ眼で愛用のティファールに水を入れていく。
お湯が沸くのを待ちながら、マグカップにインスタントコーヒーの粉を振り入れ、デスクにおきっぱなしにしていたスマホを手に取る。

スマホの電源を入れた瞬間、僕は歓喜した。
ロック画面に映し出された通知内容は、彼女の名前と、「今日はありがとう。また今度飲もうね。」の文字だった。
僕は慌ててメッセージアプリを開き、既読を付けないように内容を改めて確認する。そのメッセージは昨日の夜中に送られていた。僕は帰宅してすぐ寝てしまったので気が付かなかったのだ。昨日のうちに返信できなかったのを悔やむ思いもあったが、彼女のほうからメッセージを送ってくれたことの喜びが圧倒的だった。
僕は早く返信をしなければと、トーク画面を開き、メッセージを打ち込んだ。

「こちらこそありがとう!昨日は疲れてすぐ寝てた(笑)飲みましょう!」

一度飲み会を一緒にした程度の微妙な距離感にありがちなタメ口と敬語が入り混じったありきたりなメッセージを僕はうきうきと送信した。


僕は数分間、既読がつくのを待ってみたが、すぐに諦めてスマホを閉じた。返信までに時間が経ってしまっているし、今はまだ朝の7時、休日にしては早い時間なのでまだ寝ているだろうと推測してのことだった。
沸いたお湯を先ほどのマグカップに注ぎ入れ、出来上がったコーヒーを飲みながらどうやって彼女との関係を進展させるかを考えることにした。

5週目の現在、僕は彼女のスカートを汚していないし、飲み会中もかなり長く会話を交わすことが出来た。連絡先を交換し、メッセージを送ってもらうほどだ。1週目に比べ、かなり順調といえるだろう。
そのことに気づいた時、僕の頭には卑怯ともいえるこのループの使い方が浮かんでしまっていた。

彼女との関係を深めていく過程で、彼女に嫌われてしまったり、振り向いてもらえなかったり、告白に失敗したとしてもループを使えばやり直せる。彼女の好きなものや趣味、好きなタイプを聞いた後にループすれば、あたかも偶然のようにそれらを合わせることが出来る。
ようは彼女と乾杯さえできる限り、何度だってアタックできるのだ。
この時の僕には、この方法を使った彼女へのアプローチを止められるほどの自制心や罪悪感はなかった。
恋は盲目なのだ。








7周目。
あれから僕は2度の乾杯を経て、ついに彼女とのデートにこぎつけていた。
はじまりの飲み会でいつも通り連絡先を交換し、ループで手に入れた情報をもとに気が合うやつを演じきったおかげで、メッセージのやり取りをほぼ毎日続けることが出来たのだ。
とはいっても実際はデートと呼べるほどのものではなく、相談があるからということで、学校近くのカフェでお茶するだけなのだが。
それでも着実に彼女との仲が深まっていることに僕は舞い上がっていた。

「今日は試験前なのにありがとうね、相談事があって呼んじゃった。」

彼女はいつものようにかわいらしい笑顔を浮かべながらそう言った。

「全然いいんだよ、それで相談って?」

「前の飲み会で、私と一緒に来たショートカットの女の子覚えてる?」

「あぁ、覚えてるよ。君の友達だよね。」

「うん、そうその子。その子がさ、あの時の幹事の彼に気があるみたいで。協力してほしいって言われててさ。」

僕はその時、彼女の表情が少しだけ曇るのが分かった。
僕は不思議に思いながら、彼女の話を続けて聞いた。

「この間の飲み会で幹事の彼と外で話してたでしょ?それ見て仲いいのかなって思ってね。もしよかったら4人で飲み会をするのに幹事の彼のこと誘ってもらえないかな?」

僕はたしかに、ループにおいて同じ行動をすれば同じことが起こるのかどうかを確かめるために、あえて2週目の彼との店外でのやり取りをこの7週目に再現したのを思い出した。

「あぁそういうことか。そこまで親密なわけではないんだけどね。誘うくらいならできると思うよ。」

僕は4人で飲み会なんて願ったりかなったりだと、喜びの表情があふれ出ないよう気を付けながらそう答えた。

「本当?ありがとう。テスト前だけど、2人が良ければ明日にでもどうかな。」

「聞いてみるよ。でもこれくらいのことならメッセージで言ってくれてもよっかったのに。」

僕はただの疑問と少しだけ期待をはらんだ質問を投げかけた。

「ううん、お願いする立場だからちゃんと直接言いたかったの。てことで、ここのコーヒー代は私が持つね。」

ニコッと笑いながら彼女はそう答えた。
僕はもしかすると彼女が僕に好意を抱いて、直接会う形をとったのではないかという哀れな妄想をしていただけに、彼女の返答次第では精神にダメージを追うのも覚悟のうちだった。
それがどうだ、妄想が妄想であったことにショックを受けるよりも、彼女の誠実な考え方に心を打たれ、ますます想いが大きくなるのを感じた。

「いやいや、これくらいいいよ。それよりこの間の映画の話だけどさ、ーーーーー」

僕と彼女はその後も雑談を続け、1時間ほど話した後に解散することとなった。

「じゃあ、明日のことはまた連絡する。多分来てくれると思うからそのつもりで。また明日な。」

「わかったよ。今日はありがとね。楽しかった、またね!」

彼女はまるで天使と見間違うような輝きの笑顔で、僕の心をぎゅうっと握りしめたままバスに乗り込んでいった。僕は、叫びだしたい衝動を抑えながら彼女に手を振り、離れていくバスを眺めた。緩み切ってにやけた頬に気をはることもできず、僕は天使の余韻に浸っていた。
その後、幹事の彼からは、「いけるよ。やるなあ(笑)」と返信が届いた。
やるなあと言われても君のバーターなんだよなあ、と思いつつ、彼女にOKと伝え、あっさりと飲み会の予定は決まったのだった。







「、、、ということで乾杯。」

僕は慣れない音頭をとったのち、飲み会の始まりを告げた。
4人の持つジョッキが今にもぶつかるという瞬間に僕はジョッキをテーブルに置き、手を離した。

「あ、ごめん。さっき携帯をトイレに忘れてきたかも。先飲んでて!」

僕はそう言って、トイレに向かって走った。
これで、いったんは彼女との乾杯を避けられたが、4人の飲み会ともなると常に気をはっていないと思わずぶつけてしまいそうだ。
僕は先の不安を感じつつ、トイレに入ってはポケットから携帯を取り出し、すぐに席へ戻った。

「悪い悪い、あったわー。」

そう言いながら、乾杯される前にジョッキを持ちあげ、ぐびぐびとビールを飲んだ。かなり不自然な演技ではあるが、まさか乾杯を避けているとは誰も思わないだろう。周りの反応もこれといって変わったことはない。
僕が自分のことばかりに気を取られていると、正面に座る彼が僕のほうを見て話した。

「今日は呼んでくれてありがとう。意外なメンツで驚いたよ。」

「そうだね、たまたま飲みに行こうって話になって、何人か声かけたんだけど君しか空いてなかったんだよ。」

僕は横に座る彼女に問いかけるようにへたくそな嘘でごまかす。

「そ、そうなの。でもたまには少人数もいいでしょ?」

彼女がそれに合わせるように応えると、続けざまにショートヘアの彼女が焦ったように隣の彼を見て話した。

「だ、だよね!大人数だと誰かひとりとは深く話せないしね!」

「たしかにそうだな。じゃあ今日はゆっくり3人の深い話聞かせてもらおうかな。」

彼女のわかりやすい視線に気づいているのかいないのか、いまいち素が見えない彼は、落ち着いた調子で微笑えみ、そう応えた。

その後、僕たち4人は順調に飲み会を進めていった。
しかし、僕には一つだけ気がかりがあった。終始、隣の彼女が愛想笑いを振りまいていたことだ。仲がいいはずのショートヘアの子にも幹事の彼にも僕に対しても何か壁を一枚感じるような振る舞いだった。そのことに疑問を感じつつも1軒目の時間が終わり、僕たちは2軒目へ移動を始めた。
すると、店の外に出たあとで、彼女は僕に小声で言った。

「ねえ、コンビニに行くっていって、次の店まで二人にしてあげようよ。」

僕は無言で頷き、前を歩く二人に声をかけた。

「ごめん、俺ちょっとお金足りなそうだから、お金おろしにコンビニ行ってくるよ。先に次の店向かっててくれ。」

「あ、私も!水買いたい!」

それを聞いた前の二人は「わかった。」と言って先に歩いていった。

それを少し見届けた彼女は、こちらを見て言った。

「じゃあ、私たちも行こっか。」

なんとなく寂しそうな顔でそう言う彼女に、僕はある種の確信のようなものを得ていた。この核心に触れることで、僕は自分を傷つけることになると分かっていた。それでも、目の前で悲しそうな顔を必死でこらえる彼女の話を聞きたかった。少しでも彼女の心を軽くしたいという思いで。

「なあ、君も、彼のことが好きなんだろう?」

彼女は、目を丸くしていた。どうしてわかったのかと言いたげなふうに。少しの沈黙が続いたあと、彼女は口を開いた。

「どうして、そう思うの?」

「今、泣きそうな顔してるから。」

僕はそう答えた。君をずっと見ていたから、なんて恥ずかしいセリフは決して言えない。

「あはは、ばれちゃったか。」

彼女は相変わらず泣き出しそうな顔で、無理やり笑顔を作り、続けて言った。

「結構、しんどいね。あの二人にばれてなきゃいいんだけど。」

「気づいてないと思う。でも、いいのかよ、これで。」

「うん、あの子さ、前に悪い男にハマってた時期があって、それ以来男性不振気味だったんだ。だから、久しぶりなの。親友として、応援したい。彼はいい人だと思うから。」

「そっか。」

僕にはかける言葉がこれ以上思いつかなかった。自分が今感じている気持ちと同じように彼女も恋を諦めようとしている。その辛さが身に染みてわかるからこそ、これ以上は何も言えなかった。

「とりあえず、コンビニ行こうか。」

僕がそう言うと、彼女は頷き、歩き出した。
それから、僕と彼女の間には沈黙が続いた。
彼女はコンビニで水を買い、僕は特に用もなく、外で待った。
彼女が出てきて自然と歩き出し、長い沈黙のまま先に行った二人のいる店に向かう。足取りの重い僕たちは、徒歩5分先のビルに着くのに10分くらいかけてしまった。僕はこの10分でたくさんのことを考えていた。

彼女を振り向かせるために、僕は乾杯ループを利用してきた。彼女の気持ちなど考えずに。彼女には好きな人がいて、僕がループする限り彼女の恋は実らない。僕がしていることは、とんでもない悪だと思った。彼女の恋を実らせるために、乾杯ループを辞めようと思った。
でも、僕はこの子の優しさを知っている。これまで6回のループで何度も、彼女の優しさに触れてきた。だからこそ、この子には僕の存在など関係なく、親友の好きな人への恋心を隠し通すと分かった。僕が彼女から離れてループを辞めても、彼女は必ず二人から離れて一人になろうとするだろう。
それなら、僕は続けるしかない。罪悪感に苛まれ、自己嫌悪に陥ろうとも、必ず彼女を振り向かせ、幸せにするまで。

ビルに到着し、エレベーターを待っていた僕たちは相変わらず無言だった。
エレベーターのランプが1階へと降りてくる。
5階、4階、3階、2階。1階にエレベーターが着き、扉が開いた瞬間に僕の体は無意識に動き出した。
彼女の腕をつかみ、後ろを向きながら僕は言った。

「行くの、やめよう。」

後ろで同じようにエレベーターを待っていた男女の中年カップルが驚いている。僕は彼女の腕をぐいと強くひき、逆方向へ走り出した。

「え!ちょっと、どうしたの?!」

彼女は訳が分からない様子で、僕に何か言っている。
僕は無心で走り、先ほど10分かけて歩いてきた道を3分くらいで走り抜けた。道行くカップルや、サラリーマン、キャッチの男たちの間をすり抜け、先と同じコンビニの前で僕は止まった。
彼女の腕を離すと、ぜえぜえと息を吐きながら、彼女は言った。

「いきなりなんなの?何も言わないで走り出さないでよ!ほんとに、どうしたの?」

「君の辛い顔を、見たくなかったんだ。あの二人が親密になるにつれて、君は泣きそうな顔をしてるんだ。」

僕がそう言うと、彼女は声を荒げて答えた。

「そんなことない!ちゃんと隠してるよ!あの子が変に気を使わないように!私が我慢すれば全部うまくいくの!あなたに何がわかるの!」

「わかるよ。俺は君が好きだから。同じなんだ。だから見てられなかった、自分を見ているみたいで。」

僕がそう言うと、彼女は目を丸くして固まった。まっすぐに彼女の目を見る僕から目を逸らし、下を向きながら彼女は小さく言った。

「なんで、いま、、、」

「ちょっと待ってて。」

僕は彼女が言いかけた言葉を遮って、コンビニの中に向かった。
僕は、缶チューハイを2缶買って再び彼女のところへ行き、一つを渡した。

「はい。これ飲んで切り替えようぜ。あの二人はちょっと遅れても大丈夫だよ。」

彼女は少し泣いたのか、赤くした目をこすりながら受け取った。

「さっき言ったこと本当だから。君が好きだ。君が自分の恋を諦めようとする限り、俺は絶対に諦めないよ。」

僕はなぜか少し笑えてきて、彼女にそう言って微笑みかけた。
彼女もつられて少し笑いながら、清々しい声で答えた。

「うん。ありがとう。彼への気持ちはこれからも隠し通すつもりだけど、あなたの気持ちにも今は答えられない。ごめんなさい。でも嬉しかったよ。」

僕はこれからすることへの罪悪感と自己嫌悪を吹っ切るように、大きな声で言った。

「振られたかー!酒飲むしかないな!お互いな!」

彼女に微笑みかけると、彼女もそれに応え、僕たちは缶チューハイのふたを勢い良く空けた。

プシュッ

「じゃあ、乾杯。」

僕はそう言いながら、胸の中で決意した。これがどんなに卑怯だとしても、もう僕は止まれないんだ。

缶チューハイがぶつかったとき、目の前の彼女が何かを言った。微笑みながら。音が耳に届く前に僕はループした。僕には「がんばれ」と聞こえた気がした。頑張るよ、そう心の中で答えた僕は、目の前の彼女に元気な声で言った。

「はじめまして!」








第三話完結です。

更新ペースめちゃくちゃ遅くなってしまってます。
あくまで趣味の範疇なので、どうしても優先順位下がってしまって申し訳ない。

とはいえこれからも自分のペースで上げてくので、よろしくお願いします。

どんなことでも、コメントに感想をくれるととても喜びます。

面白かった、続きが気になる、つまらん、ありきたり、など。

コメントするまでもないなという方も、ここまで読んでくださった方はぜひ、「スキ」していってください。

とても喜びます。

引き続き、第四話の投稿をお待ちください。


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