「新春転生キャンペーン開催中!!」

「……あほらし」
都営新宿線の電車内、僕はひとりごちる。ドアの上に流れる広告では、今絶賛売り出し中のアイドルが満面の笑みを浮かべて、「転生」の宣伝をしている。きっと彼女たちは何度となく転生をしてこの地位と容姿を手に入れたに違いない。何も不安を感じることなく、ただ今の人生を燃えるように生きる彼女たちは、まるで自分と同じ人間であるというようには見えなかった。

5,6年前であろうか。経済的にも政治的にもどん詰まりになったこの日本にて、狂気的な発明が発表された。
「転生」と言われるその技術は、とある人間の意識を引き継いだ、もう一人の人間を人工的に作り出すというものである。正確には、人間の肉体にその意識をダウンロードするという方が正しいだろう。この技術の凄い所は人格をコピーするだけでなく、その人物が文字通り生まれ変わるところにあった。転生前の記憶を持っているというだけではなく、その性格や行動、言動に至るまで、新たな人物に順応するようにして変化してしまうのだ。
例えば60代で旅行が趣味の男性が20代の女性に転生した途端、急にファッションに興味を持ち始め、職場でも社交的になった、という変化もあったりする。
もともとは全身麻痺の患者への治療として開発された技術であったらしいが、これがそんなお行儀の良い使われ方だけをする訳はなかった。

程なくして、日本最大の企業グループである蒼天が、この転生を民間人が誰でも使えるというサービスを提供し始めた。おそらくとんでもない交渉と政治的な根回しがあったのだろう、この技術が倫理的に破綻しているとか、こんなことをしていたら人類として衰退する、とかいった世論は殆ど封殺され、逆にこのサービスに必要な法整備はすぐに整ってしまった。
「どうしようもない世の中で、私にどうしようもなかったことは、彼にはどうしようもあったらしい」
そんな謳い文句で、この転生サービスはスタートした。初めは否定的な意見が多かった転生が、徐々に口コミやSNSなどを通じて拡散される。インフルエンサーが紹介するようになったころには、転生は連日トレンドワードに挙がるほどの盛り上がりを見せていた。
利用のために必要なのはそこそこの額のお金と、自分の遺伝子をそのサービスに利用されることに同意する事。それはつまり、自分が転生した後に、その抜け殻の体が誰かしらに使われることを意味していた。
自分の人生を否定して、しかも誰かに勝手に上塗りされて、自分はうまくいくかもわからない新たな人間として生まれ変わる。みんな口では否定しながらも、心の中ではそれが蜘蛛の糸のように輝く道筋に見えていたのだろう。

1年間。たったそれだけで、転生が合法化した日本は、おかしくなった。

「んで、ながのっちはW杯どっちが勝つ方に賭けてたん?」
昼食を食べていると、ひょろひょろした男が僕の横に座って話しかけてくる。僕の狭い交友関係の検索には筆禍らないその顔が、妙になれなれしい。
「悪い、お前誰だっけ……」
あ、と言いながらポケットをまさぐり、青い名刺くらいのサイズのカードを見せてくる。カードには岩尾雄大という名前と、4つの赤いチェックマーク。
「俺、元後藤だよ!その前は畠中でその前は伊藤だった後藤!」
「……あーね」
この男は、もともとは僕が通っていた大学の教授だった女だ、と思う。つい先週彼が「後藤」だったころにはボードゲームをした覚えがあるので、先週転生をしたのだろう。
毎週のように姿と名前が変わる友人たち。転生の際に人間関係もリセットする人も多いが、割ともとの名前と友人関係をキープする人もいる。丁度新しいキャラクターを作るような気分で、転生をしている。周りの人間からしてみればその外見としては判別が出来ないので、どうにかして思い出などから自分を思い出してもらう必要がある。
そういう意味では、おそらくずっと転生をしていない僕は判別不能にならないからか、よく友達から飲みや遊びに誘われたりする。転生が流行る前には友達なんて誰もいなかったのに、今や毎日のようにスマホが僕を呼んでいた。
そう、僕は、この気が狂いそうな日常の中で、まだ一度も転生をしていない。何か高尚な理由や陰謀を信じているわけではなく、ただただ怖いのだ。

ただ、死が怖いのだ。

「年末転生キャンペーン開催中!!あなたも今日からななみんになれるかも?詳しくはこちらから……」
蒼天によってエンタメとして希釈された転生というコンテンツは、少しずつ人間の感性を壊していった。
まず、人の人生に値段が付くようになった。条件のいい肉体に転生をするのには金がかかり、逆にそうでないものの体は嫌われるようになった。
そして、今度は転生する肉体がガチャのようにランダムに決定されるシステムが作り出された。比較的安い額で転生が出来て、運が良ければ一気に上流階級の人生が手に入る。転生した時にはその人物が成功者かどうかはわからないので、少し生きてみて気に入らなければまた転生。中には三桁の回数を転生してなお満足しない人もいるらしい。
そして、蒼天の莫大な資金に後押しされて発達した技術は、とうとう肉体の複製すら可能にしてしまった。意識は定期的にバックアップがとられ、突然脳死を起こしてもきちんと転生が出来る。病気になったらその部分を直して再生成。怪我をしたら怪我をしていない体を再生成。いつの間にか、日本人の死因の99%は老衰となっていた。
そうなってしまっては、人は死に恐れを抱かず、命を浪費するようになってしまった。どうせ転生時に前の体は処分するならと様々な自殺の方法を試したり、少し気に食わないことがあったら相手をナイフで刺したり。仮にその結果被害者が死んだとしても、新しい体に転生することで蘇生できてしまうのだから、殺人罪は「過剰暴行罪」と名前が変えられ、窃盗罪よりも罪が軽くなった。
死はこの世界において、エンターテイメントのひとつとなったのだ。

それからまた1年ほどが経った。この世において、いったい死を恐れる人はどれほど残っているのだろうか。
自分が自分でなくなり、周りの人の記憶にも残らずに、「中の人」が変わったものだと認識される。それはもはや個人の死と相違ないはずなのに、そんな些細な事を人々は気にしなくなってしまった。転生は肉体を変えることであり、中身が大事であるという考えは淘汰され、変わらない存在である、その肉体が大事であるというような考えが当たり前になりつつあった。
今も昔も「長野君は転生しないの?」と聞かれることは多い。昔は、新しい体にならないの?という意味だったと思うのだが、今は、まだ中の人は変わらないの?という意味なのだと思う。
また、昨日話しかけた相手が、今日も同じ人とは限らない。そんな状況がずっと続いた結果、誰も他人を気にしなくなった。家族であろうが、親友であろうが、同じ声と顔で話すその人物が、自分の知っているその人であるとは限らない。転生した本人も与えられたその人物の情報を見て、うまくその設定に沿ってその人生をロールプレイする。もはや誰が本当は誰だったのか、などというのは曖昧になり、それを追求することに意味はなくなっていった。
ぐるぐると周り続ける転生の輪の中で、誰が誰なのかわからない。いつしか僕は待ち合わせの目印のように、友人同士の人間関係の起点にされるだけの存在となっていた。長野の友達のOO、長野の元恋人のOO。僕の名前はよく聞くが、僕自身の中身のことは、あまり気にしない。もっとも昔からそこまで自己顕示欲が強いわけではなかったので、それがそこまで苦痛とは思っていなかったと思う。
そんな中、ある日のカフェでのことだった。もはや誰なのかもわからない「後藤」がうつろな目で、彼とよく遊んでいたボードゲームの駒をつまみながら、僕に言い放った。
「俺、お前が羨ましいよ。ずっと自分を保ってさ、自信があって、きっとそうやって未来のことも考えてるんだろ」と。

その日、ああ、この人たちから見ると、僕は死んでいるんだなと気づいた。
変化をしない、これ以上が無い存在。僕としては自信なんてないし未来のことなんて考えていないけど、彼らからすると、僕は終着点に辿り着いた、死人に見えるのだろう。
そして彼らは薄々気付いていた。この世界で死はもはや自由なものではなくなったのだと。どんな形で死のうが、その体は蒼天に登録されている以上遺伝子情報から復活させられ、自分もまた誰かの肉体で蘇生させられる。規約にこっそりと盛り込まれていた転生の強制行使の権利にのっとって、転生の輪を壊して利益が減ってしまわないように、壊れたところから修復をしていく。
その人生に絶望して本当に終わらせるつもりで自殺をした人ですら、その次の日には転生したての体で、朝すっきり起きたかのようにすがすがしい気持ちで新しい人生をワクワクとしながら迎えることになってしまう。そんな無限に続くループから逃れる手段は、もう存在しない。
「俺……お前になりたい、お前の体が、欲しい」
後藤は、もはや正気を失っていた。いや、後藤だけではない。周りの人間もかなり危ない目をしていた。あとから知ったのだが、その時点で「一巡目」の肉体は今や数十億円で取引される、市場で最も価値が高い肉体となっていたのだ。コト、と後藤のネームプレートが落ちる。4つの「1000」と書かれた赤いチェックマークと、その横にある28という数字。彼の手が伸びてくる前に、僕は急いでその店を出た。

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「……あほらし」
都営新宿線の電車内、僕はひとりごちる。ドアの上に流れる広告では、蒼天を代表するアイドルが満面の笑みを張り付けて、「転生」の宣伝をしている。きっと彼女たちは無数に転生をした結果、この地位と容姿になっているのだろう。不安を感じてしまうまで、ただ今の人生を燃やし尽くすように生きる彼女たちは、まるで自分と同じ人間であるというようには見えなかった。
僕は、疲れてしまった。周りの人間から転生しなくていい、お前が羨ましいと言われ、いつまでもそのままでいてくれと、お前はまだ変わっていないよなと何度も確認される日々。どこかで拡散されたのか、こうして電車に乗っている間にもチラチラと周りから見られている気がする。
ぼおっと窓の外を見ながら、自分の人生の意義を考える。もはや社会機能はマヒし始め、自分の将来の夢ややりたかったことなどをゆっくりと考える時間すら無くなってしまった。きっと、違う人生だったらこんなことを考えなくてよかったんだろうな、と思った時にはっとしたら、窓枠からほとんど半分以上体を乗り出してしまっていた。ぐらぐらと揺れる体と足元を高速で通り過ぎるレールと岩。僕はぞっとして車内に飛び戻り、床に座り込んだ。汚れた社内の床が、気にしたことも無い汚れが妙に気になってしまう。
何も変わらない景色と自分の視点に安心したような気持ちとがっかりしたような気持ちが、同時に僕の心に降りかかってきていた。
そうしてしばらくして、ようやく立ち上がろうとしたとき、目の前に手が差し出された。安っぽいスーツを着た、典型的なサラリーマン。
「いやあ、はは。危なかったですねえ」
どうもさっきのことを言っているらしい。ずっと見ていたのに助けようともしなかったことを詰めようかと思ったが、もはやそんな風景は日常的になってしまったのだろうなと一人納得をしてむす、と不機嫌になった。
「知ってますよ、まだ転生してないんですよね、長野さんは。弊社のデータベースから、僭越ながら拝見させていただきました」
もはや個人情報もモラルも何もない発言である。差し出されたまま浮いていた手を無視して、僕は椅子に座りなおす。
「……蒼天の社員さんですか、暇なんですね」
「いえとんでもない、貴方に営業というか商談を持ちかける為にわざわざ探しに来たんです」
いつもこの線にいるって情報を得たもので、と言いながらこの男は隣に座ってきた。
「失礼、私は二宮というものです。名刺だけでも貰ってください」
胸元から青のラインの入った名刺を取り出してくる。第二営業部主任という肩書の下に、大きく二宮幸喜と書いてあった。
「単刀直入に言います。長野さんは転生をする気はありませんか?」
あまりにストレートな提案に、僕は驚いた。何も言わずに彼を凝視していると、にこにこと笑いながら彼は座りなおした。
「それも、貴方自身にです。貴方は自分自身の人生をやりなおす。貴方を窮屈たらしめている未転生という枠組みを取っ払うお手伝いをしたいのです」
「そこに、貴方たちにとって何のメリットがあるというんですか」
「ありますよ。私たちはエンターテイメントを提供している。貴方の「死」はコンテンツとしてとても価値があるんです」
彼の言葉に、僕はぞっとした。彼は、「転生」に意味があるとは言わずに「死」に価値を見出していた。
「あなたは、多くの人々からその生き方に注目をされている。もっともあなたの意志など無視して、ですけれども。そんなあなたが劇的に死ぬ。そんなの面白くない訳がない」
そこで言葉を区切ると、彼は僕に近づき、声を潜めた。
「それに、「未転生」のシンボルが転生をしてくれれば、転生に飽きてきたお客様方が、また転生に興味を持ちます。業績アップってやつです」
こういう風にして、この社会は歪められたのだなと理解した。「是非お考え下さいねー」と言い残して彼が駅で降りた後も、僕は何もすることが出来なかった。

誰が信じられるだろうか、僕は、その次の日には「転生センター」にいた。
転生の手続き自体は、驚くほど簡単であった。二宮が通達していたからか、列に並ぶことも無く奥の部屋へと通される。その道中に何人かの職員とすれ違ったが、全く心のこもっていない「おめでとうございます」という言葉を吐かれただけであり、この人たちにとっても、そして自分以外の転生をしようとする人たちにとっても、もはやそんな声かけには興味が無いのだろうなと思った。
その部屋には、二宮が待っていた。安いスーツでにこにこと営業スマイル。彼は昨日と全く同じトーンで、ようこそ!と僕を迎え入れた。
「昨日の今日とは思いませんでしたよ、急いで準備した甲斐がありました。あ、今日の段取りなんですがね、「自決」のコースでお願いしたいです。壮絶な最期を飾る切腹と、お薬を飲んで死ぬ服毒があるのですが……」
彼の言葉は、ほとんど耳に入ってこなかった。白い部屋が目に刺さる。なんでこんなところにいるんだろう、とうつむいて、おぼろげに考えていた。
死になよと言われれば死にたくなくなり、死なないでほしいと言われればそれに疲れて死にたくなる。それはただのあまのじゃくではないか、そこに自分の意志は入っていないじゃないか、と。
「ああ、キャンペーン、あれか」
「何か言いました?」
「……」
いや、それが僕は嫌だったのだろう。自分の意志が無かったのだ。もともと自分の意志がないような人間であった、自分が嫌だったのだ。死ぬな、生きろ、変わるな、挑戦しろ。自分の選択肢が無くなってしまい、そうせざるを得ないような環境が、きっと何もかも嫌になったのだろう。
それでも、自分で選択肢を選んでやりたいことが一度死ぬこと、ってのは流石に極端だよな、と自嘲して顔を上げたら、その部屋には2台のカメラと赤い錠剤以外何も残っていなかった。
別に、死んだところで何も変わりやしない。自分が自分のままで、周りから見る目が変わるだけである。この赤い錠剤が僕の古い体を壊そうが、自分の人生が少し変わろうが、自分が向かうべきところは何も変わりはしない。
きっと、そんなことに早く気付くべきだったのだ。
それも含めて、そんな葛藤も含めて、僕は僕であった。
自分に正直でいるべきだよな、と思いながら横を向くと、そこには鏡があった。鏡の先で、自分が思っているよりも少しやせた僕自身が、こちらの様子をうかがっている。ああ、そうだよな、僕は、死ぬのがやはり怖い。

カメラの奥には二宮があの笑顔でにこにこと笑っているのだろうか。
僕は、そっとその赤い錠剤を手に取った。


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