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「今」のための今・「未来」のための今

唐突ですが、僕には今、夢がありません。

 急に何を言いだすんだと思われるかもしれませんが、事実です。

 中学校、高校の自分には、教師になるという夢がありました。それをうけ受験勉強をした結果今僕は大学にて教育学部に所属しています。
しかし、教育実習を終え進路に迷った今、その夢は白紙に戻ってしまいました。

 そもそも教師になりたいと言う自分の将来設計、それこそが全てを物語っている、そう思います。
どういうことか。中高時代ぼんやりと生活を送っていれば、一番身近に働いている大人の存在は教師になるはずです。僕は教師になりたいという思いが第一にきたのではなく、教師しか知らないという考えが潜在的に一番強かったのかもしれないなと、今となって思います。皆さんはどうでしょうか。

 夢がない人が起こす行動。それは、未確定な将来のために行動するのではなく、今直面している現実、「今」を楽しむことしかできなくなる。そして将来を考えなくなる。そしてまた悩む。これが将来設計デフレスパイラルです(勝手に名付けた)。

 自分は今、「今」のために今を生きています。まさにデフレ真っ只中です。

 けど、最近思うようになったんです。"これでいいんじゃないか"って。別に優劣じゃないよなあと。世界探検してる人の方がすごいとか、1日16時間寝てゲームして生活してる人が劣ってるとか、その基準ってなんなの、と。個人の中で思うのは勝手だけど、他人が干渉するものじゃない。だからこそ、今自分ができる最大限の人生に対するパフォーマンスを、自分なりに行っていくことが大事なのかな、と思うようになりました。

 僕は最初に言いました。夢がないと。しかしもし無理やり言うとするならば、「"その時その時で満足した人生を送れていた"と言えること」じゃないかな、と。

人には人の、乳酸菌。

 

P.S. この文章を出すのは非常に怖いです。自己正当化だと言われればその通りだとも思います。けど、少しずつ、見えざる他人の目を払拭していきたい、自信をつけていきたいという僕なりのアプローチなので、読んでくださる方は是非温かい目で見てあげて下さい。

ここまで読んでくださった方、感謝感激雨あられ。

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