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「あ、すみません、烏龍茶1つ。」

 "飲み会なんて、面白くな。"

 大学1年の春。僕はそう思っていた。当時まだ18歳。理性の崩壊した友達、ついていけないハイテンション、理不尽な押し付け。全てを見るのが辛い。潰れるのって何が楽しいのか。そんな思いの中、僕は一人ウーロン茶を手に、飲み会の席に座っていた。

 この国はいつから18歳からお酒を飲めるようになったのだろうか。彼らは未来の日本から来たのか、それとも治外法権が認められていたのか。その真相は僕にもわからないが、どうやら大学生というレッテルが彼らのリミッターを外したらしい。僕にはわからなかったが。

 しかし、そんな正義感だけでルールを守れ続けるほど、僕という人間は強くない。周りはどんどん酒飲みばかりになり、取り残されるばかりだ。そもそも、そんな世界が嫌なら飲み会に行かなければいい。しかし僕は、みんながアルコールの指示通りに狂喜乱舞する中、ウーロン茶を飲むことにした。それは、僕は"飲み会"のことを次のようにとらえるようになったからだ。

 ①大人数での食事・新たな人間との出会いの場

 そもそも50人-100人規模で食事をすることなど、滅多にあることじゃない。しかも僕の場合、その大半が同年代で同じ学部という極めて特殊なケースだった。先輩後輩、知らない学科との関係。側から見れば小さいコミュニティだが、自分にとっては一人の世界から外に出るための大きな一歩だった。

 ②長時間の会話

 普通の食事と違って、飲み会は"会話"がメインだと僕は考える。一次会2時間・二次会2時間、約4時間お酒を持ちながら喋る。4時間の食事も飲み会以外ではなかなか見られないだろう。さらに、お酒も混じればテンションがハイになり、単位時間当たりの会話量も増える。友達とのおしゃべりが好きな一面だけを捉えれば、僕にとって飲み会という場は素晴らしい場所だった。

これらの要素を盾に、なんとか苦手意識を払拭して約2年居酒屋で烏龍茶を飲み続け、20歳になった現在、私もとうとうお酒をたしなむようになった。しかし、この2年の経験は周りとのGAPを埋めるのにあまりにも重いブランクであった。
 お酒を飲んでいても、最初に書いたような"飲み会の面白くない部分"ばかり見えてしまい、むしろ真人間に戻ってしまうのだ。自分がお酒を飲めるようになったとは言え、"飲み会"に対するインプットはあくまでマイナスイメージのままであった。だから、僕はあの2つの盾を持ちながら飲み会に参加し続けることとなるのだろう。

 人間生きていればストレスを多数抱える。大学生はそれを酒で発散する人が極めて多い。しかしそれで他人を巻き込むのはどうなのだろうか。他人がお酒で意識が朦朧とした姿を見て、本当に楽しいのだろうか…と僕は思う。せっかくのお酒、決して安くはない。本当に楽しいお酒の嗜みとは何なのか、今一度見つめ直してはいかがだろうか。

 P.S.人には人の飲み会があると思うし、どれが楽しいとか、どっちが正しいとか、おそらく人によって異なるだろう。あくまで上記は僕の持論。ただし、これだけは真理なので言わせてほしい。

 お酒は、20歳から。

ここまで読んでくださった皆さん、感謝感激烏龍茶。

 

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