目からウロコ

20年近く前、インドを旅した時のこと。

路上で売っているチャイ屋さんでチャイを買ってよく飲みました。たいてい小さな素焼きの器に注がれて出てきます。飲み終わったら、その器を返すもよし、持ち帰るもよし、その場で地面に捨てて土に返すもよし、という感じでした。

初めて露天チャイ屋に遭遇した時、目の前の地元民が日本円にして10円ぐらい払っていたので、僕も10円出して飲みました。「さすがインド、チャイが10円かあ!安いなあ。しかも器ももらえるなんて!」と感動ました。それから旅を続けながら、道でチャイ屋さんを見かけるたびにチャイを飲みました。1週間ほどたった時、あるチャイ屋の兄ちゃんが僕にチャイを手渡しながら言いました、「1円」と。

え!?一杯1円???今までのチャイ屋さんは1度もお釣りをくれなかったぞ!腹立たしいような裏切られたようなとても悲しい氣分になりました。時にはチャイ飲みつつの立ち話からかなり仲良くなったチャイ屋さんもいたのに、みんな実は内心「やったあ、カモが来た!」とほくそ笑んでいたのか、、、。

そこからは、チャイ屋さんには1円を手渡すようになりましたが、一度も足りないとは言われませんでした。

しかし、今回は、ボラれた!という「旅あるある」の話をしたいわけではありません。

最初こそ、ボラれたと憤りを覚えましたが、よくよく考えると、最初からチャイには値段がなかったんじゃないかと思えてきたのです。物には値段が決まっているという先入観のせいで一人勝手に憤っていたんじゃないかと、目からウロコが落ちたのです。多く払える人は多く、そうじゃない人はそれなりの額を支払う。

僕に「1円」と言ったチャイ屋の兄ちゃんは、僕の懐具合を見て言ってくれたのか、定額制の店だったのか、あるいは地域で値段に差があっただけなのかは謎のままです。でも、僕はとても安い授業料で『自分は「物の値段は決まっている」という先入観を持っていた』ということを学べたのです。そして、「今後、先入観で人や文化などを見誤ることがないように」と自分を戒めることができたのです。これがなかなか難しいんですけどね。

中学校の時の国語の先生が言っていた言葉がフラッシュバックしました。『「お金を湯水のように使う」というと日本では「ものすごい浪費家」のことだけど、砂漠の国では「ものすごい倹約家」のことだそうだよ。』

ケッチ

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