大人は「将来の夢」を持っちゃダメなの?

大人になると日々のことにどうしても追われたり、現状維持が精一杯になってしまって自分の将来のこと、ましては実現したい「夢」なんて考えられなくなるかもしれません。さらには「将来の夢」なんて言い方をされると「学生じゃあるまいし何をいまさら」なんて思う人もいるかもしれません。

何歳になっても「将来の夢」は持っていいはず!

小中高なんかの授業で「皆さんの将来の夢は何ですか?」というの聞かれたりしますよね。特に小学校では先生だったり、スポーツ選手だったり、鮨屋だったり、電車の車掌さんだったり色々な夢を聞いた覚えがあります。でも、大人になってみると「将来の夢」について考える人はすごく減っている、というか周りにはほぼいない気がします。

確かに「将来の夢」だった職業の色んな現実を知って熱意を失ったり、色々な事情を持って諦めたりもあるでしょう。ただ、何も「将来の夢」というのは職業に限る話じゃないと思うんです。

私がここでいう「将来の夢」というのはもっと広い意味です。

「将来の夢」って何だろう?

「自分の働いてる会社を大きくしたい!」、「温かい家庭を築きたい!」、「大型犬を飼いたい!」などなど何でもいいと思います。日々を生きていく中で自分の実現したいと思い描くことは何でも「将来の夢」といえるのではないでしょうか。

年齢に関係なく自分の将来像を描くと、ほんの少しかもしれませんが日々の生活に明るさが生まれるかもしれません。(もちろん社会生活がそんな単純な話ではないことは百も承知です。)

「目標」と「将来の夢」は同じようで違う!

ここまで読んでくださった方の中には「お前の言うのはつまり目標とか目的意識を持って生きろということだろ?」と思われる方もいるでしょう。確かに言葉の違いで中身はあまり変わらないのかもしれません。

ただ、あくまで私のイメージの話になりますが「目標」というとカチッとした固まったものを要求される気がします。そうではなく、漠然と将来像を描くだけでもいい、そういう思いを込めて「将来の夢」としました。

ふと少し落ち着いて何となく、ぼんやりと漠然とでも「将来の夢」を考えてみてはどうでしょうか。

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