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エッセイ)FUTSAL JUNKY

『こんな寒い中でボール蹴ってたなんて、どうかしてましたね』
昔のフットサル仲間と話ていたら、彼が笑いながらそう言った。
彼は去年まで、県の社会人リーグでフットサルをしていた。子供が生まれた事や足の指の骨折などが重なって、彼はフットサルを辞めた。

自分が競技のフットサルから離れて5年が経過した。feace bookに昔のフットサル関連の投稿が、〇年前の思い出としてピックアップされてきたり、自分の教え子が現在のリーグ結果などを投稿しているのを見ると懐かしさの中に寂しさが数滴混じってしまったような気持ちになる。

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これは、今から13年前に、初めて民間大会で優勝した時の写真だ。民間大会の中でも1番低いビギナーレベルの大会だったが、この優勝を手に入れるまでに10ヶ月で30回ほどの大会に参加した。
毎週の様に参加しては負けて、参加しては負けてを繰り返した。
それでも、大会の後に『あーだ。こーだ』言い合いながらやる飲み会が楽しくて、勝ち負けは気にしない感じでフットサルを楽しんでいた。
30歳を目前に控えた自分にとって、気の合う仲間と楽しく蹴っている位が趣味としては丁度いいはずだった。

しかし、この優勝をきっかけに考え方が変わってしまった。勝ちの味を一度覚えると、次も勝ちたい。またその次も勝ちたいとドンドンと欲が湧いてくる。
週一回の大会参加で満足していた自分が、週に3回は、ボールを蹴る様になった頃、チームの面子はガラッと入れ替わっていた。
同級生はチームから離れ、若くて上手い選手が増えていた。

近場の民間大会は、あらかた優勝して、もう、民間大会では満足出来なくなった頃、チームの方針が変わり『真剣に県の社会人リーグを目指そう』って事になった。自分が作ったチームだと言うのに、その頃の自分は実力不足から完全に戦力外となっていた。
その悔しさから、少しでも上手くなりたくて、フットサル関連の戦術本を読み漁り、YouTubeの動画で県や地域リーグの試合を毎日の様に見て知識を増やしていった。
皮肉にも知識が増えれば増える程に、理想と自分の実力はかけ離れていき、最終的には『知識だけなら東海リーガー』と揶揄されるようになっていた。
そんな経緯から、選手を引退してから、監督になるのに大して時間は掛からなかった。

監督になってからも、求め過ぎるばかりにチームを崩壊させてしまったり、選手と揉めたりと紆余曲折はあったものの8年間を全力で走り切り、思い残すことはない…いや県リーグ制覇を後一歩の所で逃してしまったので、多少の思い残しはあるけれど、満足して競技としてのフットサルを終える事ができた。
来年に42歳になる自分の人生の中で、唯一、本気でやったと人に誇れるのは、この8年間のフットサルだけだ。

コロナのせいもあり、最近は、遊びでもボールを蹴る事がなくなった。
家に置いてあるボールもすっかりと空気が抜けてペコペコになってしまっている。
そんなボールとは逆に自分の体は太ってパンパンになってしまって、どうにかしないとなぁとは常に思いつつも、コタツからはなかなか出られず、お菓子を食べながらこの記事を書いている。

そんな毎日からすれば、プロでもないのにあんな寒い中で、時には雪がチラつく凍ったコート上でボールを蹴っていたなんて、頭がどうかしていたんだなぁと自分でも思う。

おわり


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