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【番外編1】大いなる悩み。——『さよならデパート』の重版を決める。

ツイッターやインスタグラムをのぞいている人なら、作家さんが「重版決定!」や「重版出来!」と歓喜するさまを目撃したことがあるかもしれない。
想定していたよりも多くの人が作品を手に取ってくれ、出版社が「もっと売れる」と判断したわけだから、嬉しいのも当然だ。それに、印税収入も追加される。

一方、私のような資本の小さい「ひとり出版社」の場合は、増刷をすべきかそうでないかは大きな悩み事となる。
いや前提として、一生懸命作った本の反響がこうして数として返ってくるのは何よりの喜びだ。2,000部用意した初版がいつまでも倉庫の中で泣いていたらと想像すると、私も涙をこらえられない。

だけど。だけど、だ。
これを読んでくださっている方には正直にお話しするが、2刷目の制作には、初版分の利益をほとんど投入するくらいの費用が要る。そうならないように少部数を重ねる方法もあるのだけど、そうすると1冊当たりの単価が高くなる。何冊売ろうと利益がないどころか、下手をすると赤字だ。

先日、料理店に来てくださったお客様がこんなことをおっしゃった。
「マスターは商売で出版をやっているわけじゃないんでしょ?」

その方は、「理想を追求して」とか「お金のためにじゃなく」という意味で尋ねてくださったのだと思う。まさにその通りだ。
でも私は「いえ、商売としてやっています」と答えた。
私の出版に対する態度よりも「商売」という言葉への誤解をなくしたかったからだ。

「商売」って、確かにちょっと汚く響くこともある。
多分、これまでに世間で起こったいろんな出来事がそうさせているのだろう。
でも、簡単な言い方をすれば、商売ってものすごいことだ。

私たちは1日じゅう働いたり家のことをしたりして、お金を得たり守ったりしている。当然、何に使うべきかと慎重になるだろう。そんな大事なお金を受け取る行為が「商売」だ。10年以上料理店を営んできた結果として、私はそう考えている。
人にお金を払ってもらえるって、並大抵のことじゃないのだ。

『さよならデパート』は304ページ並製本で税込1,980円。
ノンフィクション文芸の相場としてはやや高めだと思う。たとえば印刷業のひしめく都会に事務所があって、もっと大量に刷って、流通も効率化して、ということであれば1冊当たりの原価が下がるので、数百円くらい安くできるのかもしれない。
うちじゃ無理だ。この定価ですら、運転資金をまかなうのに胃を痛めているくらいだから。

だから決めた。
この「1,980円のエンターテイメント」をしっかり作ろう。「大事なお金を払って良かった。何なら友達にも勧めてみよう」と思ってもらえるものを書こう。
実際にそうなっているかは、書店さんでの動きや、読者の方が送ってくださる感想に頼って知るしかないのだけども。

そして、ありがたいことに初版がみるみる減っていった。
山形での動きはもちろん、県外の方が「面白い」と反応してくれたのも大きかったのだと思う。
仙台・千葉・東京・横浜・大阪の書店さんを中心に、Amazonや楽天ブックスでの注文も重なり、やがて手持ちの『さよならデパート』が枯渇した。

「まさに『さよならデパート』だな」と一人つぶやいたけども、あまり面白くないので誰にも発表はしていない。

——重版か。
さっきの繰り返しになるけども、これってつまり利益の放出だ。
2刷目が売れればいいけども、売れなければ赤字も見えてくる。しかも本には「返品」がある。

書店さんに並んでいる本はほとんどが「委託販売」であり、いつでも出版社に返すことができる。細かい話は省くけど、ある本が100冊店に並んだとして、3ヶ月で5冊売れたら、その分だけを支払って残りの本は返品という場合もあるのだ。極端な例で申し訳ないけども。

つまり重版したところで、数ヶ月後に余った初版が戻ってくる可能性もあるわけだ。こうなると『おかえりデパート』だ。面白くないので、これも他には言わないけど。

2週間近く悩んでいたが、6/6(月)の午前10時過ぎにようやく覚悟を決めた。
——重版だ!

一番大きかったのは「もっとたくさんの人に読まれたい」という書き手としての欲だろう。「商売でやってるわけじゃないんでしょ」というお客様の指摘は、やっぱり正しい。
だけど、大切なお金を支払ってもらえる「商売」でなきゃいけない。

「商売」において、継続することは大事なサービスだと考えている。
重版を決めた以上、立ち止まって思案しても仕方がない。出版というエンターテイメントを継続していくために、書店さんや読者の皆さんの協力を得ながら、3刷を目指したい。

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