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実家のあたたかみというもの。

 先日実家に帰省した。金曜の夜に帰って、日曜の朝に変えるというめちゃくちゃハードスケジュールでの帰省だった。でも半年ぶりの帰省ということもあって、なんだかすごく実家という空間が懐かしく感じた。今日は読んでいる人がちょっと実家に帰りたくなる(ような話であればいいなぁ)、そんなお話。

 いつもなら、「ただいまぁ」と誰もいない部屋に話しかけ、一人で「おかえりぃ」と自己完結で終わるところも、「ただいまぁ」と言えば「おかえり」と返してくれる人がいる。実家にいた頃は当たり前だったことも、一人暮らし4年目になった今ではすごく新鮮。

 誰かがいるところに帰る暖かさを感じたような気がした。

 いつも通り、自分が使っていた部屋に荷物を置きに2階へ上がる。どさっという音とともに、3時間半のバスでの疲れが出る。あぁ、帰ってきた。僕の部屋、久しぶりだね。ただいま。僕が家を出てからも変わらないこの「家のにおい」。素敵だ。決して広くもない空間だが、何とも言えない落ち着きを感じる。これこれ。これだから僕はずっと、自分の部屋が大好きだった。

 部屋着に着替えて、リビングに向かう。誰かと一緒に食べるご飯なんていつぶりだろう。高校の時に習った「孤食」という言葉。1人寂しくご飯を食べることで、好き嫌いを増やす原因になるからやめた方がいいって、先生は言ってた。でもあれから数年、今推奨されているのは一人黙ってご飯を食べる「黙食」―。ほんの数年で時代は変わったんだなと思い知らされる。

 家族と食べる温かいご飯。大好きな大根と肉団子の煮物。味噌汁。ほうれんそうのお浸し。だし巻き卵。高級で特別なものは何一つない食卓だけど、一人で食べるどんなご飯よりおいしく感じた。「誰かと食べるご飯ってこんなに幸せだったんだ」―。失ってはじめて気づく、何気ない日常の幸せを味わった。

 父親と飲むお酒。「このためにここまでお前を育てたんだ」なんて、半分くらい本気も混ざってそうな冗談を言いながら嬉しそうな父親。真面目な話も、ふざけた冗談も、いろんな話をする。この瞬間を、何事もなく迎えられたことをうれしく思った。

 暖かい湯船につかる。一人暮らしだとどうしても風呂に時間をかけるのは面倒で、毎日シャワーで済ませてしまう。湯船につかると、なんだか1日の疲れがじわじわと溶けていくような感じがした。

 家に帰れば勝手に温かいご飯ができていて、食べ終わるころにはお風呂が沸いていて。風呂から出れば自分の部屋に暖房がついている。あの頃当たり前だったことは、当たり前じゃなかったんだなと、そう思った。

 僕の中での当たり前はここ数年ですっかり変わった。「あの頃はよかった」なんてよく聞くセリフだけど、変わることって悪いことばかりじゃないんだなって思った。変わったことで、小さな幸せを感じることができるから。周りの人がいて、自分がこうして今日も文章を書いていられるんだなって、気づくことができたから。

 なかなか照れくさくて伝えられない、日々の僕の周りの人たちにありがとうを。

 最後まで読んでくださったこと、感謝します。この文章を読んだあなたの、日々の幸せに気づくきっかけになりますように。それではまた、どこかで。


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