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いつか全部灰になる

教習所に通い始めた。大人になってから何かわからないことを誰かに教わるのは怖いんだけど自分の行動範囲が広がることが今から嬉しい。欲しい車をネットでずっと見てる。昔から免許があったら絶対にアメ車に乗る。という夢があって(それは私が永遠のBガールだから)それがもうすぐ叶うことにワクワクしている。本当はインパラに初心者マークつけて走りたかったけど流石に街乗りにもサーフィンにもキャンプにも向かないのでそれは夢のままにしておく。この時代にそんな燃費の悪い、とかよく言われるのだけどそんなことを気にして自分の好きなスタイルは築いていけない。

入校した日にやった適性検査の結果が原簿に挟まっていて、目を通したら「目立つことのない人」という一文を見て、あんなたった数十分の問題で自分のコンプレックスを刺されて死にそうになった。思わずびっくりして声が出そうになった。目立たない、バズらない、美人でもブスでもない、何もない、中途半端、私が過去においてきたコンプレックス。さようなら、もうそんなことで死なない。全部知ってるから。適性検査は4Cで、それもまたどこも尖ったところのない安全運転タイプ。やーね。

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荷物を増やせない話(instaにも書いた話)

昔から母は家の中に自分の許すものしか置きたくない人だった。椅子1脚から始まって、テーブル、ソファチェストにお皿、コップ、ライト、キャンドル、キッチンツール、家電、お風呂場にあるタオル1枚にしても。母が許さなかったから幼少時代から家の中に日本語が踊るパッケージの物が目につく場所になかったし、常に綺麗に整頓されていた。友人の家に行ったときに冷蔵庫に貼ってある水道屋さんのマグネットを「あれは何か」と母に聞いたこともある。家を建てなおす時だけ引っ越した団地が狭くて「みんなここに家族で暮らしてるの?」なんて言って絶対に他言するなと父に怒られたりしていた。我ながら嫌な子供だった。そしてそのまま大きくなった。食べるものや、目にするもの、触れるものや行く場所は今思えばいいものばかりだった。家は居心地が良くて、大嫌いだった

大人になってからは当たり前に過ごしてきた両親のこだわりが詰まった家が、実はすごい労力で出来上がっているものなんだって気づいて絶望する。いつか自分も自分がいいなと思うものだけに囲まれて暮らしたいという願望も強くありながら、あんなふうに衣食住全てにお金をかけて、なお庭と畑をいじれる財力も時間も余裕もないことに気づく。両親と同じように家を建てて、マイケル・アナスタシアデスがデザインしたライトを設置して、カールハンセンのシェルチェアやカッシーナのソファを置く、チェストはUSMハラーで揃える。その上にたくさんのお気に入りの香水や置物やキャンドルを飾る。フィンユールの椅子をデッキに置いて、コーヒーを飲みながら本を読む。太陽光がたくさん入る大きな窓がついたお風呂場にして、暖炉をリビングに置く。でもそんな財力がどこに?いつか手に入れようと思えばきっとできる。節目に欲しくて手に入れたバーキンと、ノリだけで買ったパンテールとロレックス売っちゃえばそれのどれか、もしくは全部買える。でも狭い賃貸の部屋に全部置くの?私にはまだ身の丈と土台が用意されてなさすぎる。それにもっと、手に入れるべきものがある。バランスが取れてない。でもちょっとずつ見栄も灰にできるようになってきたね。

それと同時にどこにでも行けてしまう身軽な自分でいたいという願望もあって、なかなか欲しい大きいものを買えないままだ。覚悟がない。欲しいもの手に入れたらそこから動けなくなってしまう気がしている、19の頃から家を出て十数回の引っ越し、海のそばでずっと暮らすと思ってきた茅ヶ崎にも7年しかいなかった。たまに家の中のもの全部捨てたくなる。捨てられるようなものしか持っていないから気持ちが楽だ。家が火事になった時、私はファジーだけを抱いて走って逃げればいい。何もかもが燃えて流されて朽ち果てても部屋の中にあったもの全て思い出すこともない。そのぐらいでいい。物に執着するといつか死ぬ気がして怖い。覚悟がないだけだ。でもずっと住み続けたい場所も見つかってない、いろんな場所に行きたい。でっかいダッジのバンにファジーとサーフボード乗っけて、どっかでキャンプしながら暮らしてみたい。流れるように生きてきて、流れ着いた場所で生きてきたからどこでだってうまくやれる。いつか大事なパートナーができて、どこかの地に家を建てて、その家の冷蔵庫に水道屋さんのマグネットが貼ってあっても、家中IKEAの家具だらけだろうと、私はきっと幸せだと思えると思う。

自分を納得させる方法と、覚悟があれば結局どんな人生だろうといいじゃんて思える。
願望はいつだって左右に振り切れるぐらいの幅があった方がいい。どこに針が刺したって満足がいくから。

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36歳になった。
いつだって歳を重ねるたびに「そんなこと思ってなかった」が溢れててほしいと思っている。35歳はこうだった。

35歳は、コロナ禍で仕事が減らないでよかった。誰も結婚をしていないけど、親友には恋人ができた。肌がこんなに白くなると思わなかった。湘南に来てから4回目の引っ越しをした。まだ片思いをしてると思わなかった。好きな人とこんなに仲良くなれると思わなかった。そんなこと思ってなかったが今年も溢れていた。よかった。

36歳、またファジーと2人、家を出る。海から離れると思ってなかった。友人たちは誰も結婚してないけど同棲や、恋人ができたりとコマを進めている。免許を取りに行くなんて思っていなかった。自分が車を運転しているなんて今から楽しみ。それから、好きな人と恋人になれた。諦めと、執着心のゾンビみたいになっていた私に大人になってからの片思いはハードだった。34歳になった時は電話をくれた、35歳になった時は一緒に誕生日を過ごした、36歳は恋人としておめでとう、と隣にいてくれた。ずっと夢に見ていたのに、現実は淡々と過ぎていく。それでいい、平坦な日常、穏やかな奇跡。37歳はどんな思ってもみなかったことがあるんだろう。

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好きな人が恋人になった。

ポーカーフェイスで感情が読めないけど、きちんと大事にしてくれることを知ってる。優しくて、楽しくて、居心地がいい。
初めて会った日から2年と5ヶ月。
「いつまでもそばにいると思わないで」そう言ったあの夜に「いるよ、ももちゃんは絶対いる」って言い切ったあの人のことを諦められるはずがなかった。
36歳、3年ぶりの恋人。手放しで喜ぶ歳じゃもうないけど、寒い日の日向みたいにじんわりと暖かい現実にたまに身震いする。


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忘れられない恋物語

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