こうもり、光に向かってまっすぐに羽ばたく
「こうもり問題」という言葉がある。
ものや情報を分類する際、どのカテゴリーに入れるか迷うことはないだろうか?
私がブログで「ダイエットにおけるメンタルの対策」について書いたとすると、その記事のカテゴリーは「健康」なのか、「こころ」なのか、それとも中年太りなので「エイジング」なのか。
ものや情報は複数の属性を持ちうる。
ところが階層構造のような方法でいずれか1つの属性によって分類しようとするとき、ダイエットの記事のように宙ぶらりんなものが出てきてしまう。
このような問題は「こうもり問題」と呼ばれる。
翼をもつ哺乳類であるこうもりが鳥と獣の両方に取り入ろうとしてどちらからも仲間外れにされたイソップ童話に由来していると言われている。
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さて、私の属するカテゴリーはどこか。
私は「会社員」ではないし、「妻」ではないし、「母親」でもない。
入るべきフォルダが見当たらない私は、何者でもないのか?
「自分は自分」だとわかっている。
でも、うっかり所属にとらわれてしまう自分もいる。
カテゴリーのないことに居心地の悪さを感じ、仲間はずれにされたこうもりのように息を潜めて暮らす。
人もまた、挨拶のように私が何者かを尋ねる。
そのたびに言い訳をして釈然としない顔をされる。
そして何かのきっかけでどこかに所属することになったら、心の底から安心するのだ。
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人は自分の理解を助けるために他人に職業や所属を尋ね、「こういう人」とカテゴリー分けをする。
しかし人間という存在はそんなに単純なものではない。
私には所属するカテゴリーがないように見える。
しかし、私にはいくつものタグがついている。
「娘」や「姉」や「パートナー」や「友人」であり、
「ブロガー」であり、
「あることの経験者」であり、
「何かを頼もうとするときに思い浮かぶ人」であるかもしれない。
タグを意識すると、平面に見える構造体に新たなディメンションが立ち上がる。
こうもりは何かを成し遂げる途上にある人であり、何かを手放して自由になった人でもあり、たくさんの役割や使命を持ち、奥行きのある日々を生きているのだ。
自分で自分を窮屈な洞窟に閉じ込めているとき、そこに至るまでの経緯をなぜかごっそり忘れてしまっていることがある。
「健康をいちばんに考えよう」
「家族を大切にしよう」
いかなるカテゴリーにも所属しないことを強い思いで選んだときのことを自分でも忘れていないだろうか。
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幼い子どもを持つ母である友人たちが、
「私は何年も仕事をしていないから社会のことを何も知らない」と申し訳なさそうに言う。
どうか、謝らないで。
あなたは「母」であり「妻」であり、使命をもったかけがえのないひとりの「人間」なのだから。
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人生において大切なものは「仕事」だけではない。
「家族」「健康」「お金」「趣味」「学び」「社会貢献」
たくさんの願いを同時に叶えようと皆それぞれ微妙なバランスを取りながら生きている。
人を単純にカテゴライズしようとする圧力に萎縮せず、ゆっくり、深く、自分のやり方で願いを成就させていこう。
こうもりは、こうもりのままで、まっすぐ光の中に飛び出して行ける強さを持っている。
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