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適応障害になり、休職するまで。

こんにちは、ケロクマです。

私は現在、適応障害と診断され仕事を2022年4月から休職しています。

今回、このnoteを書こうと思った理由は、「自分と同じ思いをしている人を少しでも減らすため、適応障害にならないように役立ててもらいたいから」です。

まさか自分が適応障害になるとは思ってもいなかったので、自分自身が一番びっくりしています。適応障害になって思うのは『誰がなってもおかしくないんだ』ということ。今まではよっぽどひどい環境で働いている人(ブラック企業とか)やパワハラなどを受け、精神的に参ってしまってなると思っていました。

しかし、それ以外にも適応障害になってしまうことがあると知り、ある意味で一つ勉強になったと思ってもいます。そんなこんなで私と同じことにならないために適応障害になり、休職することになった経緯をお伝えします。

適応障害になった原因

私が適応障害になった原因は主に3つ。

・技術研修がないまま実務​

・定時を過ぎてから急ぎでない仕事を振られる

・仕事内容が自分に合っていなかった

もちろん、これ以外にもありますが大きくわけると上記の3つです。

 ・技術研修は開発の研修だけだった

私は昨年の4月、新卒として某Slerにエンジニアとして就職しました。文系学部卒でエンジニアになるためには理系の学部を出ていることや、情報系の学部を出ていることが条件でしたが、当時は文系未経験からでも会社が研修をしてエンジニアを育てるため、問題ないとのことで今の会社に就職しました。

就職後は、マナー研修などを受け、その後配属まで約2ヶ月技術研修を受けました。技術研修はJavaの研修で開発向けの研修でした。

研修も終盤を迎え、配属先が決まりました。配属先は「インフラの部署」インフラでもオンプレ(物理的にサーバを設置するタイプ)の部署でした。人事には『配属先でも研修があるから大丈夫』と言われ配属日を迎えました。

そして、配属後いよいよ研修が始まるのかと思えばインフラの基礎研修はなく、いきなり設計書を埋めるよう指示されたのです。せめて何をどうするか説明してくれればよかったのですが、その説明もなくいきなり「セルが黄色くなっているところに設定値を入れてください」と言われて私は「え、何をどうしたらいいか全くわからんのだが…。」と思い、「設計書の書き方がわからないので教えてください。」と質問し、ようやく教えてもらえました。

私はこの時、ここでこの先やっていくのは無理だなと感じました。基本のスタンスが『自分で考えて、それでわからなかったら質問してください』のスタンスだから。また『忙しい、人が少ない』を言い訳に放置されがちで、質問する立場としてもかなりやりづらい環境でした。

インフラの『イ』の字もわからないのにいきなりこれはないだろう…と思いました。ただ、自分で全く何もしないのは良くないと思っていたため、休日を使って平日の復習や資格の勉強をして何とか基礎は身につけようと勉強していました。しかし、インフラは開発と違い覚える分野、勉強範囲が広くとても独学では限界があること、なかなか理解ができないことのもどかしさなどがあり、段々自信をなくしていきました。

月1回、部長と面談をしていた際にも「インフラの基礎研修があれば受けたいよね?」と聞かれ「受講できるならぜひ受けたいです」と答えましたが、叶わず。面談の中で何度か相談をした結果、基礎的な部分はYouTubeなどを使って勉強することに。しかし、すでにやっていためこの時「自分で勉強してどうにかするしかないんだな」と察しました。

 ・定時を過ぎてから急ぎでない仕事を振られる

配属後しばらくすると、学習も兼ねて現場作業へ行くことに。主に現場ではログの収集やテスト、設定値の確認などを行なっていました。

私は基本的に残業したくないタイプだったため、その日自分に振られた仕事は定時までに終わるようにし、定時には帰れるように作業をしていました。しかし、現場作業に来てからというものの特に急ぎでない仕事を定時過ぎに振られることが多く、残業することが増えていきました。

課長と一緒に仕事をしている時は、やるべきことが明確で基本定時で自分の仕事が終わったら帰ることができていたのですが、先輩と仕事をしているとタスク管理ができていないのか、定時後に急ぎでもない仕事を振られることが多く、「これ明日でもいいやろ…」と思いながらやっていました。

その先輩は配属後からの教育係?みたいな感じだったのですが、口数が少ないため何を言っているのかわからないこと、一人前前提で話されるため課長と違い何を言っているのか全くわかりませんでした。ただ、わからないだけでは仕事は進まないため、確認の意思を込めて質問するのですがそれでもよくわからない…。みたいなことが多く、やっていくなかで「こういうことか」と気付くの繰り返しでした。

そんな感じでしばらく現場作業が続き、一番理不尽だったのが「仕事の引き継ぎのために2時間残業して待たされること」でした。先輩からは朝の時点で「定時までに仕事の引き継ぎについて説明する」と言われていましたが、定時になっても説明がなかったため聞いてみると「引き継ぎまで2時間待ってください。」と。

その日の自分の仕事はすでに終わっているため、2時間の残業はログの整理などをして時間を潰す?しかありませんでした。そして、再度「引き継ぎについて教えていただけますでしょうか」とお伺いを立て、引き続き内容を教えてもらいましたがその時間わずか10分。その10分のために2時間も残業させられたのです…。幸い次の日は在宅勤務だったため耐えましたが、その日帰宅したのは22時前でした。

 ・限界を迎え、3月末に休職することに

元々配属されてから3日で辞めようと思ったところをとりあえずやってみないとわからないということで約1年続けてきましたが、ついに2022年3月末に限界を迎え休職しました。

配属後も月1くらいの頻度で猛烈にやめたくなることが何度もありましたが、次の転職をしやすくするためにも1年は耐えようと思い何度も我慢を重ねた結果がこれです。

正直、配属されてすぐに辞めようと思ってから転職サイトに登録し、辞めたいと思うたびに転職サイトを見ていました。そろそろ1年が経つ3月になって本気で転職しよう!となりエージェント面談や履歴書作成、職務経歴書の作成、自己分析などをしました。しかし、この時点で既に精神的に限界を迎えており、自己分析を進めても何をしたいかが全く見えてこないことや、何がしたいのかわからない、転職でどこかに応募しないと…。などと言った焦りと不安が加わりました。

仕事では、新たなわからない部分が出てきていることや、苦手分野だったことなどが加わり今まで我慢してきたものが限界を越え、仕事を休みました。今までなら1日休めば精神的に復活していたものが全く復活せず、メンタルクリニックに行ったところ「適応障害のため、休職する必要がある」と診断を受け休職することになりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。上記が私が休職するまでの経緯です。

ここからわかるのは、無理して苦手だなと思う仕事を続ける必要はないということです。実際社会人として働き始めると、「これくらいで休むのは甘えかな」という考えが出てきてしまい、自分から発せられるSOSを無視して無理しがちです。

最初はそれで良くても段々と復活しなくなっていき、限界を迎えると適応障害などになってしまいます。そうならないために自分から発せられるSOSを感じ、休むことが重要です。次回は、適応障害になるまでに発せられていたSOSを紹介します。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。お役に立てれば幸いです。


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