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ここ1年程頭痛が治らない旦那さんは39歳。

1年以上治らない頭痛と眩暈に、脳外科へ行くように勧めても、
いつもの片頭痛だからと軽視して精密検査を受けない。
眼医者や、内科に行っては異常なし、との事。
しかし、気が付くと、旦那さんがまっすぐ歩けていない事に気が付いた。
ようやく検査へ行ってもらって、今日はそのMRIの結果が出る日。

車で病院へ向かう旦那さん。
仕事場で結果連絡を待つが、3時間たってもまだ結果が出ない。
ようやくかかってきた旦那さんの連絡では、症状が軽くないので専門医にかかることを勧められたとの事。

最初にかかった病院で出た診断は、
視神経脊髄炎。(ししんけいせきずいえん)
死なない病気だが、仕事を続ければ目が見えなくなる可能性あり、との事。
特にストレスが体に良くない、と。

お取引先様や、クライアントとの折衝もあり、心も体も消費はする。
仕事でよく私とも言い合うこともしょっちゅう。それがよくなかったんだ・・・
今後のことを考えてしばらく入院、療養も必要か・・・と考えながら、
急ぎ旦那さんの待つ病院へ向かった。

専門医として紹介されたのは、都内の大きな大学病院。
診察室へ入ると白衣を着た先生が、旦那さんの座っている個室のカーテンから
入れ替わり、立ち代わり、首をかしげながら出入りしていた。

いろんな専門医の先生が旦那さんへ様々な質問をし、触診を行う。
目の前でものを振ったり、まっすぐ歩かせたり、手を伸ばしてバランスを見たり。
みな首をかしげて何だろう?わからない。。。と首をかしげておられた。
採血して検査を行い、3時間が経過。
今日は面会時間をすぎるのでこのまま入院させてください、と病院に言われて、
運転免許を持つ友人に急遽病院に来てもらって、旦那さんの車を持ち帰ってもらう事に。
友人が到着してあと30分で面談時間終了、というところで、脳外科の医師に呼ばれた。

医師の話はこうだった。

・旦那さんの病気は4種類ほど可能性があり、一番可能性が高いのが脳腫瘍であること。
・化学療法と放射線治療をすることになりそう。
・入院後にさらに検査を行い、調べていく。
・今出ている頭痛は、脳が病状により腫れあがり、頭蓋骨に触れるため、頭が痛むというもの。

しばらくは脳の腫れを抑える薬を投与しながら、検査を行うとの事。
旦那さんと呆然とした。

ケロ子「腫瘍は良性ですか?とれば治るものですか?」

医師「それは詳しく検査しないと何とも・・・。」

暗い気持ちで医師の話を聞き、友人の待つ病室へ戻った。
旦那さんは、友人の前という事もあってか、気丈に振舞っていた。

看護師さんに面会時間を過ぎている為病院を出るように促された。
明日また朝一で病院に来るから、と旦那さんに言い聞かせて、
友人に事情を話し、友人と一緒に病院を出る。

帰りの病院のエレベータの中で、病室で一人泣いている旦那さんの姿が頭に浮かんだ。
友人に理由を話し、やはり先に帰ってもらう事に。
呼び出したのにごめんなさい、と謝った。
友人は「わかったよ、ケロ子さん(私)しっかりね、君の事も心配だよ。」
そう言って病院の玄関で見送ってくれた。

旦那さんの病室へ足早に戻る途中、先ほど説明を受けた脳外科の医師が通りかかった。
脳外科医の医師から、奥様にだけ、お話が、と呼び止められる。
すっごく嫌な予感がした。

医師「旦那さんの病状は悪性の腫瘍で神経膠腫、グリオーマです。
    病気が脳幹の手術できない部分にあり、手術不可能です。
    薬で(放射線治療、化学療法)しか対処できない。
    原因は遺伝性なのかもわかりません。
    余命は1年持たないでしょう。あるいは半年・・・。
    来週から検査して病名を確定させます。
    ・・・この度は、本当に残念です。」

それだけ言われた。

殴られたような衝撃と、足元から真っ暗になるような気持ち。
とにかく、旦那さんのところへ急ぐ。
旦那さんの病室は4人部屋。
病室に入ると、旦那さんは机に突っ伏して泣いていた。

旦那さん「なんで戻ってきたの・・・?帰らないともう終電無くなっちゃうよ?」

(先程の医師の話はとても言えない。
 半年がっちり過ぎてから笑い話にしてやる・・・!!)

ケロ子「一緒に居たいから戻ってきたよ。
     あとさ、この状態で仕事続けるのは厳しいよ。ちょっと休もう。」

旦那さん「会社これからなのに・・・悔しいよ。なんでこんな・・・。」

ケロ子「会社はたたもうと思う。今後治療と、仕事とで、中途半端になる。
     会社よりもあなたが大切だから。2人で経営できないことを
     皆にも事情をきちんと話して、皆の再就職先も私が探すから。そうしよう。」

旦那さん「嫌だ。それは絶対にやめてほしい。
     皆が路頭に迷う。
     働いてるケロ子を見ていたいし、俺の仕事場をなくさないで。
     俺が戻る場所をなくさないでよ。」

また泣き出してむせこむ旦那さん。
今日はこの話はやめよう。今日はもう休んで、と言い聞かせ、
眠りにつくまで手を握った。
0時を回って、ようやく旦那さんが寝息を立てた。
この寝顔が、私がおばあさんになるまで、毎日見られると思ってた。
医師の言葉が思い出される。
あと半年かもだなんて・・・

病室を出て、旦那さんの地方の実家へ電話し、医師の話を伝えた。
両親は言葉を失い、電話の向こうでお義母さんが泣きじゃくる声が聞こえた。
お義父さんはなんで、なんであいつがと何度も何度も繰り返した。
泣いているような怒鳴り声だった。

ケロ子

「医師がそう言っているだけで、まだ旦那さんが死ぬと決まっていません。
 これからどうするかを急いで考えます。」
そう言って二人をなだめて電話を切った。

私の母親へも連絡をして明朝自宅へ戻ることを伝える。
入院準備を手伝ってほしいので朝一で来てもらえるよう頼んだ。

処置室のベッドを借りて仮眠。
夜じゅうナースコールが響き渡っていた。
気が付くと寝落ちしていた。


記録はまだまだ続きます。

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