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親の宿題を肩代わりしてきた子ども

カウンセリングに通い出して、両親と距離を置いた。

私にとって彼らとの関係は負担になるから。

フラットに考えて、ひとりの人間が誰かと関わりたくないと思ったならば、その気持ちが優先されるはず。なんだけど、親と子っていう関係性になると、「関わりたくない」気持ちを大切にすることが難しくなる。

私は以前、「親なんだから、配慮しなければならない」と思ってた。

だいぶ手放しが進んだ今は、

「私が関わりたくないと感じてるのが、宇宙の真理」だと思っている。

つまり、彼らをシャットダウンしていることを悪いと思っていない。当然のことだと感じている。

むしろ、親と子という関係性を印籠のようにして無理やり交流を迫るのは、「おかしなこと」としか思わない。

誰かに恋心を持っても、相手が拒否すればその関係は成り立たない。それでもつきまとえばただのストーカー。

ひとりの人が、「関わりたくない」と思えば、それで関係は終わる。そんなシンプルなことが、なぜか親子関係になると曖昧になる。

そんなたいしたものじゃない。親子関係って。

たいしたものだと思わされてきただけ。

たいしたものと思わなければ罰せられてきただけ。

子どもが親子関係をたいしたものと思わなければ、親にとって都合が悪かっただけ。

子どもをいつまでも支配しておきたい親は、自分から子が離れていこうとするとこう言う

育ててやったのに

親なんだから敬え

もしくは悲劇のヒロインぶって、子どもから捨てられた親っていう被害者ポジションをとろうとする。

子どもの罪悪感をあおって、コントロールしようとする。

子どもに自分の宿題を肩代わりさせてきた親ほどしがみつく。意地でも離さない。

だって、自分の宿題に向き合うことから逃げて、放棄して、子どもに全てやってきてもらったから。

いなくなると困る。生きていけない。

自分で宿題をできない(自分の足で立てない)のは親の課題。それを子が肩代わりなんて、本当はできない。

できないんだけど、親の宿題を子どもがせっせとやってあげるという、世にも奇妙なことをさせられてきた。

世にも奇妙なことをしていれば当然、

生きにくいし、鬱になるし、死にたいし、自分のことが大嫌いになる。

「これからはご自身で」とそっとつぶやいて、そっと離れて大丈夫。

離れる時は罪悪感にまみれるかもしれない。育ててもらった恩…なんて考えるかもしれない。痛みが伴うかもしれない。

でも、大丈夫。もし、親が自分で宿題を片付けられるようになったら、

またフラットに付き合える日がくる。

ちなみに私の両親は、今でもすきあらば私に宿題を投げつけてこようとするので、

単に距離を置いている。

自分の宿題は自分でしなきゃ。

世代間連鎖

じゃあ、どうして私の両親は、私に宿題をさせてきたのかって言うのも、今はわかっている。

それは、私の両親も、親の宿題をさせられてきたから。

さらに祖父母も、親の宿題をさせられてきたんだろう。

そうやって代々、宿題を子どもにさせる仕組みが出来上がってきた。

外から見ると普通のご家庭。誰もおかしいことに気づかない。子どもが死にたいと思ってるなんてわからない。親本人は自分を立派な親だとすら思ってる。

でも、私は気付いた。この仕組みのおかしさに。

だから、親からの宿題を拒否して、

自分の宿題と向き合うことを決めた。

自分の宿題に向き合い始めると、あまりに何も手をつけていなかったことに愕然とした。

父と母、祖父母の宿題を、死にたいと思いながら片付ける子ども時代を過ごしたんだから、自分のことをできてなくて当たり前なんだけど、

体は大人になり、妻、それから母という立場にもなってしまっていた。

その時になり、自分の宿題をしていなかったと知った絶望感、恐怖感、焦燥感…凄まじいものがあった。

あの暗闇を経験するくらいなら、気付かない方が楽だったかもしれない。気付かないフリをして、一生を終える人がいたって不思議じゃない。

でも、私は子どもに自分の宿題を片付けさせるのだけは嫌だった。

自分がさせられて、どれだけのダメージを負ったかがわかるから。

自分を見つめる作業は、長く辛い時間だったけど、やってよかった。

今は、親の宿題を必死にやっていた頃と全く違う世界に住んでいる。

自分の中に幸せを感じることができる。豊かな世界が広がっている。

仕組みに気付いて、癒しを進め続ける私が、子どもに宿題を丸投げすることは、きっとない。

そろそろ、親の宿題は親に返そう。

そろそろ、自分の宿題に取り掛かろう。

そこには、親の宿題を片付けていた頃には感じ得なかった、面白くて豊かな世界が広がっているから。



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