そして朝を迎える

深夜、Amazonの商品が届いてないのに配達完了となっていることに気がついて寝れなくなってしまった。明日の朝、連絡して対応してもらえばいいと頭では分かっている。頭では分かっているんだけど不安で眠れなくなる。

そういう経験を何度も繰り返してきた。頭では分かっているんだけどモヤモヤしてしまって、それを超すと自分に対してムカついてくる。小学生の頃、遠足の前日に持ち物を準備していて、しおりにチェックがつけられない水筒と弁当の⬜︎にムカついて眠れなかったことがある。

小さなことが気になりだすとそこから過去に派生する。頭の中では言いたかった言葉や言えなかった言葉がグルグルと回っている。

僕自身、どうしてこう不安になるのか分からない。寝たらすぐ忘れるタイプの人が羨ましくてたまらない。

僕の近くにいる寝たらすぐ忘れるタイプの人間が父親である。

僕は父親のことが世界で一番苦手だ。キレたら大声で怒鳴り散らかし、自分のことを棚に上げてクズだとか人間として終わっているとかそういう言葉を平気で浴びせてくる。何もわかっていないのにわかっているふりして機嫌の良い時だけ優しさを見せつけてくる。正直、もう一生関わりたくないし話しかけて欲しくない。よく旅行から帰ってきた人が「家が一番落ち着くわ〜」と言うけれど僕は家で落ち着いたことがない。父親が出かけている時"以外"は常に萎縮して緊張して部屋にこもっている。もっと分かりやすく説明するとすれば、ずっと生徒指導室に住んでいるようなものだ。

高校の三者面談に父親が来た時、先生と父親が二人とも僕に対して色々と問い詰めてきて頭が真っ白になってしまい、三者面談中、僕は一言も喋らなかった。言葉が何も出てこないのだ。父親が帰って僕と先生二人きりになり「普段は、ボケたりしてるのに家ではそんな感じなん?」と聞かれとき、本当の自分が一体何なのかわからなくなってしまった。

今でも父親に自分から話しかけることは殆どない。頼み事なんてもってのほか、例えば「ちょっと出かけてくる」の一言だけでも凄く緊張する。今になっても何故か怒鳴られるんじゃないかと思ってしまう。自分でも情けないと思う。

そこに至るまでには、性格の不一致だとか過去のこととか色んな小さな原因が積み重なっている。虐待の様なことではないし、それを人に説明するのは凄く難しい。僕にしか分からないことがあるし、全部を説明するわけにもいかない。なのでできれば話したくないのだけれど話さなければいけない場合もある。そういう時、先生や友達から返ってくるのは決まって「本当はおまえのことを思っている」だとか「おれの子供の頃はもっと殴られたりした」とか「言い返したらいい」とかそういう意見だ。自分が甘い人間であること、逃げていること、言い返したらいいこと、そんなことはとっくの間に理解している。勿論、何度も言い返したことがあるが結局嫌な言葉を大声で浴びせられて余計辛くなるだけだ。だからいつからか僕は何も言い返さない様になった。ただ、父親が怒鳴り終わるのを待っている。それが一番穏便に済ませられる方法だった。

父親にされた屈辱などは全て覚えている。時々思い出すし、夢で見ることもある。全てを紹介するわけにもいかないので1つだけ紹介する。  

中学、高校と陸上競技をしていた。それなりに成績も良く表彰状を貰うことも少なくなく、その度に母親がリビングや玄関に飾ってくれていた。ある日、僕が部活から帰ってくるとその全てが剥がされて僕の部屋の畳の上に乱雑に置かれていた。それは父親が僕のいない間に「邪魔」と言って剥がしたのものだった。ということを母親から間接的に聞かされたのだ。自分は何も悪いことしてないのに悪いことした様な気持ちになって父親の部屋をそっと覗くと、父親は何もなかったようにすやすや寝ていた。理由は定かではないけれど、その頃、弟も中学に入学し陸上を始めた。弟はあまりスポーツが得意でなく表彰状を取れるような成績になかったから僕の表彰状を見たら弟が嫌な気持ちになると思ったのだろう。父親と弟は仲が良い。僕は理由も聞かず文句を言うこともなく、ただ嫌な気持ちのまま布団をかぶるしかなかった。

僕はそのことを今でも思い出して傷つく。父親はそんなことがあったということすら覚えていない。

これを読んだ人はなんだその程度かと思うかもしれない。もっと厳しい家庭に育った人もたくさんいると思う。でもこんな小さなことがもっと子供の頃から何回も何回も繰り返され、そのたびに心がすり減っていった。

受験の時に、僕の成績のせいで母親が父親に責められて泣いていたのを見てしまい、なんて声をかけたらいいかわからず夜通し悩み、結局朝になってやっと眠りにつく。そうするとまた父親が部屋に怒鳴り込んできて「受験生のくせに何時間寝てるんだクズ」と言われる。

"言葉"でどれだけ傷つき、またその言葉から過去に派生して傷つき、そして朝まで寝れないとか、そういうことは父親の頭の中には存在しない。それはそういうタイプの人間だから。生まれつきそうだったのか、大人になるに連れてそうなったのかは分からないけれど、そういうことを思いつきもしない。もしかしたら朝まで眠れない人間がいるということすら知らないかもしれない。夜になるとみんながスヤスヤと眠り、朝になるとみんなでスッキリと目覚める。そんな世界で生きているのだろう。でも、それはそれで仕方がないことかもしれない。

一度だけ本気で死のうと思った事がある。兄は勉強ができるし話すのも上手い。弟は父親から可愛がられているし人の懐に入るのも上手い。父と兄と弟は仲が良いし、僕の存在価値はどこにあるんだろうか。僕には何もない。唯一あった陸上競技も浪人を機にやめてしまった。僕には才能もなければ自慢する様なことは何もない。頭も良くないし話すのも下手くそだし自分に甘い。逃げてばっかりいる。これから先もずっとこの気持ちと付き合っていかなければいけないんだろうか。そう思うと本気で死にたくなった。文字にするとバカバカしくも思えてくるが当時は本気でそう思っていた。でも結局、取り残される母親のことを考えると申し訳ない気持ちになってやめた。

父親の嫌なところを長々と書いてきたけれど、もちろん感謝をしている部分も山ほどある。それに僕は僕の人生を父親のせいにしたくない。父親のものにしたくない。好きなものも沢山増えたしやりたいこともたくさんある。厳しい環境や親のいないところで育っても前向きに生きている人は沢山いる。環境のせいにして自分の人生が自分のものでなくなってしまうことは恥ずべきことだと思う。

僕は甘い人間だ。だからこそ自分と向き合って生きていくしかないのだ。今から性格を変えろと言われてもそれは不可能なことで、朝まで考えたり不安になったりするしかない。それからAmazonに電話すればいい。それで解決出来るならそれでいいのかもしれない。怒りを誰かにぶつけたとしても余計に虚しくなるだけで誰も救われない。自分に同情し誰かを傷つけることは最も愚かなことだ。だから、自分に向かって「おまえになんか負けるかよクソ!」と言い聞かし打ち勝っていく、それが今の自分にとって不安と共存していく一番いい方法なんだと思う。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?