光が、ベルトコンベアから流れてくるのを不思議に思い焦って口に入れると何故か作りかけのサンドウィッチの味がした。

光を食べた人間は、おそらく祝福されるべきなのだが、耳元では社員やパートのおばさんたちが何かしらの暴言を吐いていた。頭の中では「ダメ!いけないわ!今すぐ謝って許してもらうのよ!」と天使もえの顔をした天使と「こんな所に居ても意味がないぜ!辞めちまいな!」と柚木ティナの顔をした悪魔が争っていて、かなり迷ったけれど、どちらかと言うと柚木ティナの方がファンだったので「毎日毎日毎日毎日毎日!毎日!!毎日!!!!..........毎日.....毎日......っ、おまえら何が楽しくて生きてはんの!!!」と叫んで工場を後にした。辞めたことに後悔は無かったが、語尾が少し京都弁っぽくなってしまったことには恥ずかしさを覚えた。外に出ると、辺りは暗く、行く宛も無かったが、今の自分には昼よりも夜の方が明るいと思った。夜になると自分と世界との境目がぼやけて自分の形を忘れることができる。自分という存在が世界に属しているという安心感を得られるのは夜だけだった。

途方もなく道を歩いていると、ふと、昔にもこんなことがあったなと思い出した。中学生の頃、修学旅行のレクリエーションでクラスのムードメーカーである西村という男に唆され、みんなの前で一発ギャグをやることになった。西村は、クラスの端に居る人間にあえて一発ギャグを振るというセンスを、自分以外のみんなに見せつけたかっただけで、誰もそんなこと望んではいなかった。絶対に一発ギャグなどしたくなかったが「はやくやれ!」と言葉が飛び交うので、仕方なく、今から口を大きく広げて学級文庫と3回完璧に言い切ります!!!と宣言して、口を指で横に広げて「学級ウンチ!学級ウンチ!学級ウンチ!」と叫んだ。しばらく辺りがシーンとなったが、西村が「おまえ山岡先生の古典の授業と同じくらいおもんないねん!!」と叫ぶとクラス中が爆笑に包まれた。我慢できなくなり「センスないくせにセンスあるみたいな顔して生きてて恥ずかしくないんですか?そんな見せかけのセンスなんか一時のパーキングエリアでしかないですよ?お前なんかオシッコしたらすぐ飽きられて誰にも相手されずにパイ、ポイじゃ!まぁそれでもプライド捨てきれずに過去にしがみついたままクソみたいな人生歩むんやろな!!クソが!死ね!!死ね!死ね!お前ら全員死ね!!!西村くんは二回死ね!!!!」と叫んで修学旅行の途中で家に帰った。途中で家に帰ったことに後悔は無かったが、西村のことを"くん付け"で呼んでしまったことには恥ずかしさを覚えた。その頃はまだ、天使もえのことを知らなかったし、それから卒業まで一度も学校に行くことは無かった。

こうして過去を振り返ってみると、あの頃の自分と今の自分に何か違いはあるだろうか。ただ時間が過ぎ、歳を重ねただけではないだろうか。部屋の中には、大量のゴミとプライドが散らかっていて足の踏み場もない。でも、それでも、このままこうして勝手に命が尽きるまで、暮らしていければそれでいい。変化することが1番恐ろしい。何も変わらなくていい。そう思って生きてきた。そう思って生きてきたはずだった。でも、あのとき、ベルトコンベアの奥から光が見えて、自分の方へと流れてくるのを見たとき、絶対に誰にも渡したくないと思った。何としてでも手に入れたいと思った。流れてくるのが待ちきれず、ただ、がむしゃらに光に手を伸ばした。

歯の隙間に、まだ光が詰まっていて上手く取れず、思い切って唾を吐くと、唾と一緒に電柱にへばりついた。それからまた、しばらく歩いたけれど赤信号で止まった瞬間、急に自分の吐いたものが本物か、自分が吐いたことが本当か、不安になって確認しに電柱まで走って戻った。これからどうするべきなのか、どうしたいのか、何をするべきなのか、何をしたいのか、どこに行くべきなのか、どこに行きたいのか。何も分からない。何も分からないけれど、そこにはまだ光があった。

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