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(゚Д゚;)…こんなことになるはずではなかったのだが…

人生は、先が見えないからこそ生きる価値が生まれる。

私はそのように考えています。

多くの人が、人生のどこかのタイミングで「もしも、未来が視えていたら…」と思うでしょうし、もちろん、私も今後どこかで考えるかもしれません。

しかし、大抵の人は失念していると思うのですが、人生は楽しいことよりもツライことの方が多いものです。

そして、興味深いことに、ツライことを経験する過程で、ブレイクスルーが生じ、辛さを乗り越えることに楽しみを見出すようになるものです。

つまり、仮に未来が視えて、自分が感じる楽しいことを選択し続けたとしたら、それは逆説的につまらない人生になるでしょう。

だからこそ、思うのです。

人生は、先が見えないからこそ生きる価値が生まれる、と。

ということで、今回は「良い意味で転機となったこと」について書いてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

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昨日の投稿で、こんなことを書きました。

年末年始という言葉に踊らされて、まだ「年越し」という区切りまで時間があるのに「2021年すでに終わった感」を出すことなく、やれることをやりましょう、「振り返り」とかしている場合じゃないですよ‼、と。

…スイマセン、今日はちょっと振り返ります(笑)。

私と定期的に連絡を取っている方が複数人いるのですが、口々に「人生楽しんでますね」と言われます。

これは自分で分析するのも悲しいのですが、決して言葉のままに「楽しんでいますね♬」という意味ではなく「あなたの人生、いろいろありますね…」という意味です(。-∀-)フフフ。

今年で言えば「転職」ですね。

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2020年、私はキャリアコンサルタントという国家資格を取るべく、「資格の学校」にて養成講座を受講していました。

…私の過去記事を読んでくださっている方はご存知の方もいますが、私は趣味で国家資格を取る人なので、当時はキャリアコンサルタントとは全然違う仕事をしていました。

ツナギを着て、製造工場で文字通り、泥と油と汗と金属の切削くずに塗れていました。

…話を戻しますが、そのキャリアコンサルタント養成講座で知り合った一人こそ、今の会社の代表なのです。

今年の初めに、カフェで会って、居酒屋で話をして、誘われたので転職、という私的には珍しいケースの転職でした。

もっとも、すでに前職には退職願を提出しており、この567ショックがなければ、一人で日本一周していたのかもしれない状況での勧誘だったので、少しでも何かのタイミングが違っていたら、今と違う人生だったでしょう。

…このような転機が、毎年のように起こっているのですが、私は未来が視えるわけでも、楽しいほうを選択しているわけでもありません。

選択には、受動的なものと能動的なものがあり、前者は「選ばされるもの」で後者は「選ぶもの」と捉えることが出来ます。

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今の私は、自分で選択肢を「選ぶ」ことが出来ますが、わずか数年前までは「選ばされる」選択しかありませんでした。

この両者を隔てる違いはたった一つです。

「行動」をするかどうかです。

待つ・ためらう・臆する・人の様子をうかがう・人に選ばせる…

このような行為をしてしまうと、それは既に自分の人生ではありません。

思えば、私は自分のモノではない人生をずっと歩んできたのです。

自分で選んだ人生ほど、つらくて、それでいて楽しいものは、今のところ存在しないと感じています。

昨日、仕事納めで、私を誘った友人(会社代表)と少し話をする機会がありました。

そこでの会話は、お互いに同じ言葉でした。

「まさか、一緒に働くことになるなんて思わなかったよねー。」

(゚Д゚;)…こんなことになるなんて‼、というのは、どうにも悪いことに使われることの多い言葉かもしれませんが、私はこれからも、良い言葉として使って行けるような生き方を続けたいと思います。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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