人間はどこから老いるのか?
すっかり慢性化した腰痛との格闘。
なかなか出てこない固有名詞。
逆に、みるみる膨らんでいくお腹をさすりながら、「老い」について書いてみようと思います。
私は43歳の立派なおっさんですが、人間は誰でも老いていくし、人生のどこかで必ず「老い」を感じる瞬間はあると思います。
今回のタイトルである「人間はどこから老いるのか?」という問いですが、最初は身体的な老化からではないかと考えていました。
身体の特定の個所から筋力の低下や関節の硬直化、骨の変形であったり軟骨成分の減少だったり…。
新陳代謝の低下も身体的老化でしょうし、内臓機能の低下も老化です。
ですが、若い頃よりも年を重ねるごとに人間は「見た目」に差異が見られるようになります。
また、代謝や内臓機能に関しても、私よりも高齢であっても健康的な方が多くいらっしゃいます。
つまり、身体的な老化は、日々の習慣のケアによって緩和されるものであると言えそうです。
では、老化とは精神的な部分から来るのでしょうか?
ーーーーーーーーーー
「よっこらしょっと…」
年齢を重ねると、何気なく出てしまう謎の掛け声(笑)。
一見すると自分の身体に対するエールにも感じますが、個人的には「気が乗らない」という精神状態を奮い立たせる言葉ではないかと感じています。
要するに、半ば強引に「やる気スイッチ」を推している状態だということです。
老化とは、身体の前に、精神的な意欲がなくなることではないのか?
そのように思ったのです。
メンタル的な部分に気をつけると、身体と連動して活動的であろうと心掛けるようになります。
筋トレが集中力の向上に適していたり、ヨガなどがストレス緩和に向いていたり、心と体のバランスを保つことが老化を遅らせるためには有効であることが、多くの書籍や論文で論じられるようになりました。
…以上を踏まえると、「老い」とは身体と精神の状態が乱れたときに進行すると考えられそうです。
それならば、結論として「心身のバランスを崩したとき」とするのが良いのでしょうか?
ーーーーーーーーーー
今日のこの記事を書き出す前、どんなテーマで書こうかと頭を悩ませる時間がありました。
いくつものテーマが溢れ出るような日もあれば、こうしてキーボードの上で指が止まるときもある。
これって、何が原因なのだろう?と考えたのです。
私の中で結論として出てきたのは「思考の老化」という発想でした。
身体が固いと柔軟性が失われ、可動域が狭まり、代謝が低下します。
精神が固くなってしまうと、喜怒哀楽が鈍化し、好奇心などの心の動きが衰えていきます。
「思考」とは頭で考える理性と心で感じる本能の葛藤によって起こる生理現象のように感じることがあります。
「どうしよう」と思うのは、いくつもの選択が浮かんでいるからであって、そうでなければ「悩む」も「迷う」も存在しないと思うのです。
逆に捉えれば、「悩み」や「迷い」があるから「思考」は機能するのではないでしょうか?
「思考の老化」とは価値観や固定観念によって絡めとられた考える力の衰えを指し、この状態が心身の情動を抑えてしまうきっかけになるのではないかと考えたのです。
…とは言え、これは根拠のない持論であり、ネタに詰まった挙句に捻り出した虚言なのかもしれません(笑)。
しかし、考えることを放棄するというのは、着実に私たちの可能性を狭める行為なのではないでしょうか?
もし、あなたもnoteのネタに困ることがあったら、それは「老い」の始まりかもしれません。
思うことと考えることのサイクルを止めないように、常に新たな感覚を磨くことが肝要だと思います。
ーーーーーーーーーー
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?