学びって利己的であるべきじゃない?
ちょっと思いついたので書いてみようと思います。
必ずしも「そうあるべき!」と言う気はありませんが、何かを学ぶということは、それを学ぶと決めた自分の意思を尊重するべきだと思います。
そして、誰の意見にも、反証にも、持論を展開できるほどでなければ、専門的な知識を得たとは言えないでしょうし、多くの人が「専門性を高める」ことを目標としているのであれば、これが求められる専門性の水準なのではないでしょうか?
そうであるならば、学びとは自分の(知識や技術といった)利益だけを追求しようとすることが必然であり、はじめから他人の利得を優先するような学びは、本質的には専門性から逸脱する思想なのではないでしょうか?
私は、他人が何を幸福と考え、何を利益だと考えているのか分かりません。
言葉は必ずしも真実ではないですから、相手に訊く行為が有意だとは思いません。
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「利己的」とは「自分の利益だけを追求しようとするさま」だとされています。(デジタル大辞泉より抜粋)
しかし、自分の利益だけを追求した結果、他人の利益にもなることがあります。
「利他的」とは「自分の利益を犠牲にしてでも、他人の利得を優先するさま」だとされています。(実用日本語表現辞典より抜粋)
しかし、他人の利得を優先しようとしたところで、相手の真意を知る術はありません。
だとすれば、優先すべきは自分が有意だと思うモノを追求すべきであり、それが結果として他人の利得に繋がると私は思うのです。
ノーベル賞受賞者は、ノーベル賞が欲しくて研究を進めているワケではないでしょう。
結果として社会に貢献する発見があったとしても、なによりも自己の知的好奇心がなければ偉業は達成されないのではないでしょうか?
私たちは、無意識的に利他を利己より優位であると考えている節があります。
ですが、学びをはじめ多くの事象の本質は、利己的であってこそ突き詰められるモノだと思います。
…と、このようなことを思い付いたので書き綴ってみました。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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