見出し画像

ゴロゴロっとしたモノをモシャモシャっとすれば、あなたの心に宿っていく

久々に意味不明のタイトルにしてみました(笑)。

さて、あなたには座右の銘がありますか?

忘れられない言葉がありますか?

好きな本がありますか?

お気に入りの作家さんはいらっしゃいますか?

私たちは、言葉に囲まれて生きています。

言葉は、私たちの心の在り様を他者に伝えるのに有用な手段です。

人生を歩む中で、多くの言葉と出会い、言葉に苦しみ、言葉に励まされて、私たちは成長していきます。

今回は、そんな言葉について考えてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

ーーーーーーーーーー

…というか、私の過去記事の半分くらいは言葉をテーマとしているかもしれません。

個人的な考えですが、人が誰かに与えられるモノって、突き詰めれば無形なモノしかないと思っています。

目に見えるモノを与えたとしても、大切なのは、どんなモノか?よりも、モノに込めた想いや願いだと思うのです。

ですから、どんな人生であっても、死ぬまでの間にどれだけの人に、どれだけの想いや願いを託し、受け取ってもらえたのかが生きた証であり、誰もが他者に託せるモノが言葉だと思うのです。

ですから、私はこうして言葉を届けているのだと思います。

改めて伺いますが、あなたには誰かから受け取った言葉がありますか?

ーーーーーーーーーー

さて、言葉は植物の種のようだ、と私は考えています。

言葉を贈った人の心が作り出した、言葉を覆う種皮には、言葉そのものとは異なる役割があると思うのです。

それは、贈った人の価値観や人生観です。

まったく同じ言葉でも、語りかける人物が異なると、違う言葉に聞こえることがありませんか?

それは、言葉が言葉の意味だけでなく、発言者の心の一部を含んでいるからです。

ですから、「言葉には命が宿っている」と表現されるのだと、私は感じています。

また、種に喩えたのは他の理由もあります。

植物の種の一部には、休眠するものがあります。

何年も、あるいは何百年、何千年…という時を経て、芽吹くことがあるのです。

贈られた当時は気づかなかったけど、今になって染みわたる言葉や、過去の偉人たちが残した言葉に胸を打つことがあるのではないでしょうか?

ーーーーーーーーーー

この記事の最初に私が問いかけた言葉は「あなたには座右の銘がありますか?」です。

座右の銘
座右の銘とは、いつも自分の身近に書き記して、自分の戒めとする言葉のことである。慣用句や故事、ことわざなどの中から選ばれることが多い。簡単に言うと、自分が生きていく上で大切にしている言葉のことである。
座右の銘の「座右」とは座席の右側のことで身近、そば、かたわらといった意味を持つ。「銘」は、戒めなど心に刻みこんだ言葉のことである。
(実用日本語表現辞典より抜粋)

この引用文にある「自分が生きていく上で大切にしている言葉」を最後に掘り下げて、この記事を終わりたいと思います。

どんな言葉も、発言者の価値観や人生観に覆われています。

その価値観や人生観が加味されているからこそ、響く言葉もあると思うのですが、受け取った言葉をそのままにしておくのは、勿体ないと感じています。

言葉は「咀嚼」することが出来ます。

咀嚼】そしゃく
言葉や文章などの意味・内容をよく考えて理解すること。
(デジタル大辞泉より抜粋)

そして、「反芻」することも出来ます。

反芻】はんすう
繰り返し考え、よく味わうこと。
(デジタル大辞泉より抜粋)

何度も何度も考え、悩み、再び考えていくことで、贈られた言葉は、いつしか、あなただけの言葉になっていきます。

記事の途中、「芽吹く」という表現を用いましたが、あなただけの言葉になることこそが、本当の意味での芽吹きだと私は思います。

ーーー

ゴロゴロっとした種皮に覆われた言葉を「咀嚼」し、何度も何度もモシャモシャっと「反芻」することで、言葉の真意があなたの心に宿ります。

あなたは、どのように感じるでしょうか?

ーーーーーーーーーー

ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?