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分からなくはないけれど。
福祉の仕事をするようになって多用するようになった言葉だと思います。
「分かる」でも「分からない」でもない言葉。
「分かる」という言葉は、自分がどのように使ったとしても、相手にとって共感や同調、賛同といった意見に採られてしまう。
結果として、「○○さんも分かるって言ってた」のような他責感情のトリガーとなったり、「分かるって言ってたのに分かってない」といった、いわゆる「持ち上げて落とす」のような、相手にとって、のちのち大きな傷を与えてしまう言葉になりかねない。
また、「分からない」という言葉は、ただの否定ではなく全否定に採られてしまい、どんな言葉も通らなくなってしまう。
だからこその「分からなくはないけれど」なのです。
障害者福祉は、物事の真理を考える機会の多い世界だと感じています。
正論に対して、その正論がなぜ社会で通用しないのかを明確に答えなければ、それだけで信用は失墜します。
ただの正論のぶつけ合いにならぬよう、相手の意見が明らかに間違っていないのであれば、認める必要があるのです。
「それは違うと思う」だけでは、私たちだって納得できないことがあるはずです。
「なぜならば…」を聴いてもらうためにも、相手の言い分もちゃんと聴くこと。
信頼関係さえ崩れていなければ、「返報性の原則」は精神障害を抱えている方にもある程度は有効に働きます。
現場にいてこそ感じるのですが、「分からなくはないけれど」は、決して話をはぐらかす言葉ではなく、許容できる部分があることを相手に伝える言葉なのです。
このように、私は様々な言葉や行動に対して、なぜそうなのか?の理由を伝えることが仕事ですし、それが障害者支援の一端だと考えています。
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ということで、少し短いですが、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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