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私たちは孤独なら幸せでも不幸せでも手をたたかない?

昭和の名曲に「幸せなら手をたたこう」という唄があります。

上記に埋め込んだYouTube動画では、時代を超えて笑顔になれる坂本 九氏の歌声を聴くことが出来ます。

私は幸せを感じても、手と叩くという行為はしません。

不幸せだと感じても、手や肩、足や頬を叩くこともありません。

では、人が手をたたくときとは、どんな状況なのでしょうか?

私が思い浮かぶのは「拍手」をするときです。

私にとっての拍手とは、他者に対する賞賛を示す行為であって、自らの幸せを示すときに行うものではないのです。

ですが…、スタンディングオベーションのように、最大限の賛辞を以って誰かを讃えるとき、そこに幸せがあるのかもしれません。

自分が幸せである、というだけでなく、あなたという他者がいてくれたことが幸せなのだ…。

そんなときに、人は手をたたくのではないでしょうか?

もしそうであるならば、冒頭の「幸せなら手をたたこう」という唄は、「幸せなら手をたたいてください」ということではなく、「今この瞬間の、あなたと私が出会った幸せを、喜びを、どうやって表現すればいいのでしょう?」という問いかけに「手をたたく」という行為で応える歌なのかもしれないと、私は感じました。

つまり、自分の内なる幸せの表現ではなく、他者との触れ合いによって生まれた幸せを感じたとき、人は手をたたくという行為でその幸せを表現する、と言えるのではないでしょうか?

…そもそも、自分一人だけが幸せというシチュエーションが私には浮かびませんでした。

他者との出会いに感謝、という話でした。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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