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「魅せる働き方」は他者にどう影響するのか?
私たちが働いている姿は、常に誰かに見られています。
それはユーザーであったり、同僚や上司であったり、たまたま偶然に見かけた人だったり…。
労働というのは、社会を維持・向上させるためのモノであって、誰かの役に立っているからこそ、仕事そのものが存在しています。
小さな町工場で、モノと向き合うだけの作業であっても、製品を手に取るユーザーの顔が見えるかどうかは、働く意欲に何らかの作用を及ぼすと私は考えています。
私自身、従業員数名しかいない町工場で、一言も発することなく一日を終えるような生活をしたことがあります。
それでも、社内の同僚や見学に来られる顧客や製品を使用するユーザーを意識して、誰にも恥じない働き方を心掛けるようにしてきました。
それが、自分なりの製造の世界で生きる矜持だと思っていたからです。
自分の仕事ぶりについて、他者からどう見えるのかを考えることは、ある意味では自意識過剰であるのかもしれませんが、仕事への向き合い方を磨く手段でもあると考えます。
例えば、社会に出て働いているだけで、無意識でも誰かの目を気にするようになり、それが作用して心身ともに若く保とうとする意欲が増すという話を聞いたことがあります。
外見を気にすることは、清潔感や表情などを意識することなので、必然的に若く見える…という説らしいです。
誰かに見られることに対して嫌悪感を抱く方もいるでしょうが、「見られる」のではなく「魅せる」という働き方もあるのではないでしょうか?
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昨年から転職をして、障害者福祉の世界に身を投じても、個人的な働き方に変化はありませんでした。
「誰にも恥じない働き方を心掛ける」ことに職種は関係ありませんでしたから。
ちょうど、転職先の運営サイドも似たような考えだったので、そこに違和感はありませんでした。
障害者の方と地域の清掃活動を行っているときも、他の会社で業務委託を受けて作業をしているときも、「魅せる福祉支援とは何だろう?」と考えながら働いてきました。
まだまだ正解は分かりませんが、一年以上働いてきた中で、障害者について全く分からない地域や企業の人々が、少しずつ、こちらに目を向けるようになっていると感じ始めています。
こちらから笑顔で挨拶をし、障害を抱える方と日常をともにすることが当たり前のことであると感じてもらえる接し方をするうちに、こちらの姿を見かけて挨拶をしてもらえるようになったり、道端で障害について相談を受けたりと、地域や企業との距離が近くなっているのを実感します。
自分が与える影響の大きさは、ガムシャラに自分のために行動するよりも、社会との繋がりを意識して主体的に関わることの方が、きっと大きいのだと思います。
それが、やがて地域のノーマライゼーションの精神を育むのだと信じて、私の「魅せる働き方」は続きます。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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