福祉の侵食
物騒なタイトルですが、大きな気づきだったので、記事にしようと思います。
福祉業界には「福祉は」と「一般社会は」という線引きがあります。
この言葉の解釈としては、福祉とは個人の幸せであり、一般社会とは公共の幸せを意味するものだと思います。
なぜ、このような境界が存在するかと考えてみると、福祉サービスの利用者は一般社会からドロップアウトした存在と認識されることが多く、それゆえに傷ついていたり、一般社会に馴染めずにいたりします。
つまり、福祉とは一般社会から何らかの理由で、はみ出てしまった人のセーフティーネットだという概念がそこにはあります。
限りなく境界はないのだけれど、あくまでも隣地である。そんなニュアンスが感じ取れます。
私は、その一般社会から福祉に身を寄せた方の支援を行うにあたり、一般社会の価値観や常識を踏まえた上で、福祉の価値観や常識と擦り合わせていくことが必要だと考えていました。
しかし、毎日を利用者さんと共に過ごす中で、少しづつ「福祉は」にウェイトが占めるようになってきているのだと気づきました。
そんな気づきを与えてくれた方は、何年も「企業」という一般社会を形成する部署から福祉を見続けてきた経緯があり、対話を通して、私の思考が偏りかけていることを示唆する事例を暗に語ってくれました。
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いわゆる「リワークプログラム」に近い部分に携わっているのですが、利用者さんの心情と向き合うほどに、本人が仕事に戻れるようにするのではなく、仕事を本人のニーズに寄せていく思考が私の中で侵食していました。
もちろん、福祉の精神で利用者さんの必要とする支援を行うことは当然の義務です。
ですが、福祉の精神だけで経済活動は最適解にはなりません。
「仕事とは何なのか?」
「働く意味とは何なのか?」
もう一度、自分の軸となる考えを定め、ぬるま湯にならない支援をしなければと感じました。
…ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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