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生々流転

生々流転
万物が限りなく生まれ変わり死に変わって、いつまでも変化しつづけること。
(デジタル大辞泉より抜粋)

私にとって、過去の自分を振り返るツールは、生まれてこの方、noteだけです。

わずか2年程度の記録ですが、それでも読み返すことで去来する想いは、まさに生まれ変わりと死に変わりだと感じています。

様々なところで「変化し続ける人」と称していただくのですが、私にとって安定は安全ではない、というのが変化に身を置く理由の一つです。

思えば2年前は、まだ転職もしていませんし、取得していない資格もありましたし、大学も卒業していませんし、有志でフルオンラインイベントを主催してもいませんでした。

ただ、すでに「兆し」はありました。

転職を考え、複数の国家資格を既得隅でしたし、社会人大学生として履修していましたし、全国にオンラインでつながっている有志がいました。

何かの出来事を振り返るとき、私たちは起点と終点を想起することが多いように感じます。

それは、「始まりと終わり」が、それだけ記憶にとって鮮烈な出来事だからだと思います。

しかし、ほとんどの出来事は「点」ではなく「線」や「面」であり、それらが立体的に蓄積されたモノを私たちは「経験」と呼びます。

ということで、今回は「変化」と「経験」に必要なたった一つの要素について書いてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

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「変化」と「経験」に共通するたった一つの要素、それは「我慢」です。

もちろん、何かを始める「勇気」や、自分を奮い立たせる「意思」など、他にも重要な要素はあるでしょう。

しかし、私にとっては「我慢」なのです。

例えば、ご飯を一番おいしく食べる秘訣と言えば何でしょうか?

…それは空腹時だと言えるのではないでしょうか?

例えば、子供の頃にお小遣いを貯めて購入したモノって誰でもあると思うのですが、それが鮮明に記憶に残っている人は、他の欲しいものを「我慢」して購入したのではないでしょうか?

あるいは、晩酌が好きな人は、その至福の時間のために仕事などを頑張っているのではないでしょうか?

「我慢」は、現代において悪者のように扱われることもありますが、私は「在り様(ありよう)」だと思っています。

在り様】ありよう
あるべきわけ。あるわけ。
(デジタル大辞泉より抜粋)

「我慢」が何のためのモノなのか?

あるべきわけを見出すことで、言葉の意味は大きく「変化」するのです。

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我慢】がまん
耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。
(デジタル大辞泉より抜粋)

…他にも「強情」や「高慢」といった意味合いを含む言葉ではありますが、今回用いているのは、引用文にある「辛抱」や「忍耐」という部分です。

私たちがこの世に生を受ける際、胎内で十月十日を経て、誕生を迎えます。

母親は命の重さを感じながらも耐え忍び、胎児も誕生の瞬間までジッと辛抱します。

その出産までの経過を共有しているからこそ、母子愛は固く結ばれるのです。

私たちは、「何事もない人生」を望むものです。

ですが、光あるところに影があるように、影があるところにこそ、光はあると思うのです。

言葉には負の感情を表すモノも多く存在します。

しかし、それと同時に正の感情を表す言葉も数多くあるのです。

そして、言葉とは「在り様」で光にも影にもなるモノなのです。

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おそらく、この記事を読む限り、「変化」や「経験」は主体的で前向きな言葉に感じる方が多いと思われます。

ですが、離職や離縁などの喪失感、生活困窮や災禍に見舞われる絶望感も「変化」や「経験」ですよね。

「我慢」も、主体的で前向きな言葉として捉えれば、必ずしも耐え難いものではないはずです。

むしろ、何かの起点となる大きな可能性を持っているのではないでしょうか。

私たちは、生きている限り生々流転する生き物です。

生々流転の在り様をどのようにしていくのか?

何かを我慢したからこそ得られるモノがきっとあります。

耐え忍ぶ美学を磨くことは、自分らしく生きる上でもやりたいことをやり抜く力になると私は思います。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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