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働くことに「余白」は不要なのか?

まずは表題の「余白」について定めてみようと思います。

製造業などでは、ライン生産のように与えられた業務を与えられた時間で遂行する能力が求められます。

IT関連の業務では、プロジェクトマネジメントによって、その日の工数が決められており、達成すれば業務終了…なんてところも増えてきていると思います。

つまり、労働者は能力に関わらず、「時間」に「作業」を当てはめられ、それを遂行することができれば、評価されるという図式が完成すると思うのです。

要するに「業務管理」されているので、「余白」の少ない仕事だということです。

私は、過去にアルバイトやパートタイマー、数社での正社員業務を経て、この「余白」が少ないと窮屈感を感じてしまうタイプの「人間」です。

生意気かもしれませんが「人間」だから、考える「余白」がほしいと考えてしまうのです。

では、その「余白」で何をするかと言えば、「業務創作」をするのです。

スタートアップ企業にお勤めになったことのある方はご経験があるかもしれませんが、「余白」の少ない業務とは、十分に成熟しており、システムとして稼働している業務を指します。

ルールもマニュアルも、これから作り上げていく企業には、まず「業務」がありません。

「業」とは、継続して行うものですから、仕事はあっても業務はないと言えるかも知れません。

人間の特性ですから、どちらかに大別できるのでしょうが、たまたま私は「余白が欲しい側」の人間なのです。

つい最近まで、誰もが「余白」を求めていると考えていたのですが、そうではないということが分かってきました。

考えながら業務をするよりも、「余白」無く業務をしている方が楽だと思う人がいるのだと教えてもらったのです。

これは完全に固定観念でした。

「この業務には”余白”があるから、○○について考えてほしい」なんて指示は、ストレスだったのです。

うーむ、良かれと思ったコトが裏目だったのか…と、反省。

しっかりとタイムテーブルを引いて、マネジメントすることが本人のためなのだな…と、ある人にとっては当たり前かもしれないことを、改めて知りました。

…あ、オチ無いですけど終わります。


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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