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がんばると孤立する不思議
がんばるには個人差があります。
それは仕方のないことで、他者と比べるものではなく、内なる自分と比べるもののはずです。
そして、がんばってもムリなことはやる必要なないけれども、工夫するというがんばり方はアリだと思うのです。
どんながんばり方だって、何かに一生懸命打ち込む姿は、人を惹きつける何かがあると私は思いますし、思っていました。
しかし、それは個人的な考え方であって、他者も同じというワケではないのですね。
…という状況に陥っているので、思い切って記事にしてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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いつの頃からか、がんばることがカッコ悪いという風潮が目立つようになりました。
スマートな生き方に憧れて、スマートな自分を求めて、「自分らしく在りたい」と考えるのです。
このような考え方自体を私は否定しません。
誰だって、スマートに生きたいものです。
しかし、がんばらなくていいという風潮には違和感があります。
メンタル不調になってしまわれた方や、がんばり過ぎてしまう人に向けての言葉であったはずなのに、「スマート=がんばらない」にすり替わってしまうのは違うのではないかと思うのです。
他者と比べて、がんばらなくていい。
心身の健康を損ねてまで、がんばらなくていい。
自分を見失うまで、がんばらなくていい。
本来は、がんばることは前提条件として存在するはずなのです。
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他者と比べず、心身の健康に気を配り、自分を見失わないように、仕事に打ち込んだ結果、徐々に職場で孤立しつつあります(笑)。
あれれ~Σ(・ω・ノ)ノ⁉
社外では、それなりに評価いただけますし、可愛がってもらっていると思います。
しかし、一緒に仕事をする人から見れば、私はたぶん浮いているのだと思います。
ちょうど今日、人づてに「○○さんが、周りに迷惑かけたくないから業務から外れたいって話してたよ」と聞きました。
これは、自惚れでなければ、私と同じ業務はやりたくないという暗喩だと感じました。
自分で言うのも何ですが、仕事人間なので、業務は肚を括ってやりたいし、権限はなくても責任はいつだって背負える範囲で背負う覚悟でいます。
ですが、このような考え方は、ワークライフバランスの比率が私と違う人からすれば、引くレベルなのだと思うのです。
もっとぶっちゃければ、キモがられてる可能性も高いでしょう(笑)。
それは構わないのですが、こういったシチュエーションのとき、いつも考えることがあります。
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組織に属している以上、協調性が求められることがあります。
和を乱さず、全体的に平均的であることが必要であるという考え方です。
しかし一方で、協調性を重視するということは、全力を出せないこともあると思うのです。
もちろん、協調性と個人の能力をバランスさせるのが組織の在り方なのですが…。
私は「がんばらなくていい」に染まりたくないのです。
「がんばらなくていい」人生がどのようなものかを経験しているからです。
適度に力を抜けたらいいのでしょうけど、サービス業である以上、目の前の人の最大幸福の実現のためと思うと手が抜けない…。
間違っても、他の人ががんばっていないと言っているのではないのです。
ただ、私は私の信念をもって走った結果が、社内の孤立となっただけなのです。
私のストーリーは、まだ続きがあります。
今後どうなるか分かりませんが、がんばるだけです。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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