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どうして他者を否定するのか?
批判は、まだいいでしょう。
弁論の余地があるから。
否定というのは、一方向からの強制力です。
反論も反証も、届くことはありません。
否定するほど、相手のすべてを知っているのでしょうか?
成長の可能性もなく、この世にとって無用の長物だとでも言うのでしょうか?
なぜ、そのような思想を簡単に抱くことが出来るのか、私には分かりません。
ですが、他者を否定するような人に対して、その人を否定するようなことはしません。
それは、他者を信じると決めているからです。
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個人的な見解ですが、他者に対しての「信じる」と「信じない」は共存できます。
人を総合的に判断するのではなく、細分化して振り分ければいいのです。
嘘は言わなくても、本当のことを隠す人もいるでしょうし、明け透けな性格に見えても、すべてをさらけ出して生きている人間などいないのですから。
クセやしぐさから、普段と違う行動が垣間見えたら信じる度合いを下げる、といった考え方も出来るでしょう。
ですが、相手を信じていないかと問われれば、そのような状況であっても信じると答えられる時もあるでしょう。
ですから、他者の一切を否定するというのは、自分の見る目のなさを公表しているようなモノだと感じます。
短所を見ればダメな人でも、長所を見れば聖人なのかもしれないのです。
例えば、かの有名な「一休さん」こと「一休宗純」は、数々の逸話を残す人物である反面、相当な破天荒であったともされています。
どの側面を、どの角度から、どのような視点で捉えるかによって、他者が自分の目にどう映るかを象徴する話も一休和尚を検索すると語られています。
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私なりの結論ですが、どうして他者を否定するのか?、その答えは、他者を用いなければ自己肯定できない、ということではないでしょうか。
あなたはどう感じるでしょうか?
今回はこの辺で…。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
以上となります。
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