人は全力を出したときに転ぶ
物理的な話だけでなく、気持ちや心といったモノも転ぶことがあると私は考えています。
全力であればあるほど、転ぶリスクは上がります。
そして、全力であればあるほど、転んだ時の傷は大きくなります。
気持ちや心が大きく転んで傷を負うと、ときに後遺症を残すことがあると思います。
これがメンタル不調や精神疾患・精神障害なのだと思います。
福祉職である私は、福祉の現場で神経をとがらせています。
障害を抱える方への支援は、微に入り細を穿つことが求められると考えています。
【微に入り細を穿つ】
きわめて細かな点にまで気を配る。
(精選版 日本国語大辞典より)
福祉の「ふ」の字も知らない状態で飛び込んだ私にとって、障害者支援とは当初、未知なる恐怖だと感じていました。
ですから、お恥ずかしい話、最初の頃は腫れ物に触るような態度に映っていたかもしれません。
それが原因で信頼関係構築に難航し、何度も障害を抱える方からの訴えがありました。
「ちゃんと支援してほしい」と。
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いつしか、障害を抱える方と時間をともにする中で、支援とは命のぶつかり合いだと感じるようになりました。
全力で生きて、それでも社会にうまく溶け込めないのだと、障害を抱える方々は身も心もたくさんの傷を負って、生き方を模索しているのだと思います。
そんな方々に何かを伝えるには、こちらも全力でぶつかるしかないのだと、私自身も少しずつ変化していったのだと思います。
今日、障害を抱える方で、自身に課せられた業務を遂行できずに体調を崩され、早退された方がいました。
障害者福祉の現場では、よくあることでもあるのですが、そこに鈍感になりたくないと、今の私は思うのです。
何か見落としたアクションがあったのではないか、気づけなかった感情があったのではないか…?
たった一つの言葉、たった一つの行動、たった一つの見落としが、人の人生を変えるのです。
…全力であればあるほど、人は転んだ時の傷が大きくなります。
しかし、転ばなくなったら、きっと傷を負わない代わりに、心は壊死していくのではないかと思うのです。
何も感じない心で、他者の痛みは感じられません。
それならば、何度だって転んで、そのたびに、何かのために転んだのだと胸を張れる人でありたいなと思いました。
未熟だから転ぶ。
でも、成熟しても誰かと一緒に転べる人が、きっと誰かを支援する人なのだと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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