優しさは厳しさがなければ優しさではない
「優しくする」と「甘やかす」は別物です。
しかし、その境界は曖昧で、だからこそ戸惑うことも大いにあることでしょう。
「甘やかす」のは簡単です。
相手の言動を全肯定し、嗜好と思考を把握し、自分の社会的地位(ステータス)を相手よりも下げることで成立します。
では「優しさ」とは何でしょうか?
ということで、今回は「優しさ」について書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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【優しさ】
心温かく、思いやりがあること。または、おだやかでおとなしいこと。
(実用日本語表現辞典より)
辞書を引くと、言葉の曖昧さが際立つのではないでしょうか?
「心が温かい」とは具体的にどういう状態なのでしょう?
「思いやり」がある人はどのような行動を取るのでしょうか?
「おだやかでおとなしい」のであれば、罵詈雑言を発しても「優しさ」なのでしょうか?
…もちろん、これらはヘリクツですが、本質的に考えれば「優しさ」とは送り手と受け手の価値観によって差異がある言葉だと私は考えています。
送り手が強い語気で話しても、優しさでそのようにしているかもしれませんし、優しさがなくても、受け手がそこに優しさを感じられれば、それは優しい言葉になるのです。
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個人的な意見ですが、受け手が即時的に優しさを感じるような言動は、「甘え」を生み出してしまう確率が高いと思っています。
仮に、あなたに与えられた仕事に対して、すぐに「手伝おうか?」と声を掛ける同僚がいたら、どう感じますか?
縋りたくならないですか?
それは、甘えではないと言い切れますか?
あなたが与えられた仕事に対し、懸命に取り組み、それでも期限に間に合わなくなるそのときに「一人で頑張ってたけど、ここから先は一緒に手伝うよ」と言われたとき、ホッとする反面、悔しさや自責の念が湧いてきませんか?
ですが、のちのちになって、助けてくれたことに感謝するかもしれません。
…「心温かく、思いやりがある」って、私はこういうことだと思うのです。
相手のやる気や力量、性格や思考への時間的な配慮が、優しさには必要なのではないでしょうか?
ときにそれが、受け手にとって厳しさだと感じても、「優しくない」とレッテルを貼られても、「甘やかす」ではない関係性を築くには、見守ることも大切な要素だと思うのですが、あなたはどうでしょうか?
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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