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選択肢は少ない方が幸せだと思う

今回は端的な話になってしまうと思いますが、お付き合いいただければと思います。

私たちは、生きていく上で多くのことを何らかの選択して歩んでいます。

朝、眠いけど二度寝しようかどうしようか…から、明日は早く起きなきゃいけないから眠くなくても横になろう…まで。

もしかしたら、夢の中でも何かを決めているのかもしれません。

多くの人が「人生は選択の連続である」という事実に気付き、さまざまな見解を述べていますが、私の持論は「選択肢は少ない方が幸せだと思う」です。

現代は、人の数だけ仕事がある時代です。

ほんの2,000年くらい前には、農耕か狩猟か…といった選択しかなかったでしょうし、個人ではなく家系に職業が付属されていましたから「職業選択の自由」なんて権利はありませんでした。

私たちは、つい「選べないことは不自由だ」などと考えてしまいますが、それは現代的な考えであって、当時はそこに選択肢があるなんてこと自体が存在していない概念だったと思うのです。

ひょっとしたら、2,000年前の人間から見たら、私たちを見て「選ぶ苦しみがあるなんて、私たちの方がマシだ」なんて思うのかもしれません。

それくらい、私たちは選択することに疲弊していると私は考えています。

選択肢の数は希望の数ではありません。

選択したことで納得感が得られるでしょうし、もし選択を間違えてしまったと感じても「あっちの選択肢を選んでいたら…」というカタルシスによってプチ現実逃避が出来るでしょう。

しかし、選択をするということは自由だから出来るのではありません。

すでに囚われている不自由の中で、唯一選ぶことだけに自由を与えられているに過ぎないのではないでしょうか?

かつての私は、多くの選択肢があることが善いことだと考えていました。

ですが、今は少ない選択肢の中から明日の生き方を決める方がストレスを感じないことに気付きました。

そして、肝心なのは、どの選択肢を選んでも、私たちは不自由者だと認識することだと考えています。

自由とは、青い鳥のような象徴的な偶像なのです。

あると思って縋ろうとするのではなく、ないのだと割り切って日々を生き抜くほうが、生きてる感じがしませんか?


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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