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スポットライトは誰のために?
「自分の人生は自分自身のもの」
…本当にそうでしょうか?
自分という人格を形成する要素が、この世に産まれてからずっと、自分だけだとしたら、あまりに寂しいです。
「自分」とは、今日までに出会った人たち、見てきた景色や風景、感じてきた感覚や刺激、そして、積み上げてきた知識と経験で成り立っているのではないでしょうか?
だとすれば、人生とは「自分自身のもの」ではなく、自分自身を今日まで磨き上げてくれた「自分以外のすべての要素のおかげ」なのではないでしょうか?
今日まで自分にスポットライトが当たらなくて、寂しくてつらい方もいるでしょうし、そんな想いをされている方にとっては、自分が光の中心にいることを夢見ることでしょう。
しかし、自ら光の中心に立つことは、本当に最高の瞬間なのでしょうか?
私は、自分が光を浴びるよりも、誰かに光を当てたいと思っています。
誰の目にも映らなかった人が光り輝く瞬間に立ち会うこと、それが最高に素敵だと感じます。
そして、何人もの人にスポットライトを当てていると、思いもよらない瞬間に遭遇することがあります。
光の中心にいる誰かが、私を手招きするのです。
私は大変に恐縮しながらも、その、誰かの横に立ち、まばゆい光のステージへと飛び込んだとき、はじめて、自分の当てたスポットライトが自分を照らしていることに気がつくのです。
あなたの手にあるスポットライトが何を照らすのか、決めるのはあなたです。
私の個人的な意見など気にされず、自らに光を当てることだって、とても大切な行為ですし、素晴らしい瞬間だと思います。
重要なのは、光が誰を包もうと、その瞬間は等しく尊いのだということです。
そんな、漠然としたことを書いて、今回の記事は終わります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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