努力は報われないようにできている
何でもかんでも、相応の結果になるわけではありません。
努力だけでは変わらない結果もあるのです。
そう、結果は…です。
個人的な意見ですが、報われないからこそ、結果ではなく過程が大事なのだと思うのです。
「これだけ頑張ったのだから、きっと良い結果になるはずだ」
「自分を信じれば、きっと報われる」
結果や成果は、自分という存在以外の因子によって簡単に覆ります。
「そんなことはない、今の私があるのは自ら努力し続けてきたからだ!」
…これは主観であって結果や成果とは関係のないモノだと私は考えています。
なぜなら、仮にあなたが努力が実った出来事を「報われた結果」と認識することは、曲解を恐れずに言えば、「報われないのは努力していないからだ」という自分のみならず他者の批判につながることと同義ではないでしょうか?
それならば、努力は実らないモノとして認識することで、結果ではなく、努力の過程に自己肯定感を感じられるようになると思うのです。
考えた、伝えた、手にした、歩んだ、励んだ…
これらの行動に、自分なりの意味を模索し、納得感を得ることが努力の対価なのではないでしょうか?
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努力が報われるのであれば、どんな病気も努力さえすれば治るのでしょうか?
努力が報われるのであれば、これほどまでに地位や名誉や権威や経済的安定を欲する人が、そうではない現実に苦しむことは無いのではないでしょうか?
努力は報われない。
たまたま報われることがあったとしても、それは自分という存在の力だけではなく、多くの偶然が折り重なって生まれた奇跡なのです。
つまり、努力の結果、その労力に釣り合った成果を得たのだとしたら、それは奇跡であって報われたわけではない。
…そう考えた方が、私はずっと生きやすい世界だと感じます。
努力とは報われるためにするのではなく、私たちが無自覚に行っている日々の営みそのものです。
生きること、生き続けることは努力なくして在り得ない。
私は、そのように考えます。
私たちは、いちいち覚悟などしなくても努力しているし、そんな自分をもっと愛してあげるべきだ、という話でした。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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