しりとりを「ん」で終わらせてしまう気まずさも、やがてはそれが自分の使命だと知る
今回は、あまり長く書くテーマではないので短めに…。
しりとりを、あっさり「ん」で終わらせてしまうことほど、つまらないものはないはずです。
しりとりでの不文律は、参加者全員が長く続くように、さまざまな言葉を思い浮かべては声にするというモノ。
個人的に、このしりとりの不文律に近いやり取りだと思っていることがあります。
それは「他者の悪口」です。
職場の同僚など、ある種の運命共同体であったり、共通の敵を設定しやすい環境にある場合、人はストレスの捌け口に、特定の誰かのステータスを下げることで、自分のステータスを保とうとします。
…ここで言う「ステータス」とは「社会的地位」です。
たとえ自分が悪くても、ミスをしていても、勘違いをしていても、大事な要件を忘れていても、誰かのステータスを恣意的に貶めることで、自分が最低な人間ではなくなると錯覚を起こさせる。
それが悪口です。
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悪口は、しりとりのように参加者が言葉を続けることで盛り上がりを見せます。
終いには、有ること無いこと構わず貶める言葉を吐き続けることもあるでしょう。
それぞれが悪口をまくし立て、スッキリするまで続く、この混沌とした時間を「ストレス解消のため」と正当化する参加者たち。
流れに吞まれてしまえば、自分も加害者に回る、だがしかし、沈黙を貫けば、偽善者だとレッテルを貼られるかもしれない…。
大きな決断は、最初の1回です。
しりとりの「ん」のような、流れを断ち切る言葉を、あなたはきっと持っているはずです。
ですが、やがてそれは、あなたの使命になるでしょう。
世の中にどれだけの陰口や悪口が蔓延ろうとも、自分だけは「ん」で終わらせ続ける。
そんな人間でありたいと思い至って、私は15年ほど経過しています。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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