甘さに潜む冷たさと、厳しさの奥にある温かさ
「市川くんは甘いから好かれるよね」
仕事でもプライベートでも、たまに言われる言葉です。
私自身、甘さについて自覚しているので直すつもりもないのですが、それは良いことだから直さないのではなく、私の性格に紐づいている部分でもあるので直らないのです。
甘さと対になる言葉に厳しさがあります。
こちらは一見すると、他者を寄せ付けない要素となってしまうこともありますが、私は厳しさの質によっては、誰よりも慈しみを持っている人なのだろうな…と感じることもあります。
ということで、今回は「甘さと厳しさ」について、書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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包み隠さず話すなら、私が他者に甘いのは、他者の決定権や自由を奪わないための処世術です。
他者がどのような選択をしても、自分の関与しないところであるならば、社会通念に反していても、とやかく言うつもりはありません。
一応、念押しはしますが。
【念押し】
注意して確かめること。
(デジタル大辞泉より抜粋)
私の価値観は、他者をどうにかしようとも、どうにかできるとも考えていません。
背中を押すことはあっても、手を引くことはないのだと思います。
本当に伝えたいことは、言葉にせず、日々の在り方や生き方で示せるように意識しています。
それは、言葉にした瞬間に陳腐になってしまうモノが多いから。
「愛」なんて言葉は典型例ですよね。
第三者から見て「甘い」と感じる態度は、裏を返せば、干渉する気がないからできる態度であって、そこに「慈愛」はないのかもしれません。
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一方で、他者に厳しく接することの出来る人がいます。
単純に嫌がらせで厳しくする人もいるでしょうが、そうでない人もいるのです。
そのような人は、真正面から向き合ってみると、情に厚く熱意があり、他者をどうにかしてでもより良い方向に導こうと尽力していることに気づかされます。
どんなに対立しようとも、嫌われようとも、人道や正義のために生きることの出来る人だと思うのです。
他者に「慈愛」をもって厳しくできる人を、私は尊敬しています。
私には出来ないことを行っているからです。
しかし、表面的には、甘い人間に他者は寄ってくるものです。
そのたびに、私は話すのです。
「今は私の言葉が心地よいかもしれないけれど、本当にしんどいとき、助けてくれるのは厳しい言葉を言ってくれる人だよ」と。
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人間は表面的な部分を視覚で捉え、内在する部分を心で捉えます。
甘さにすがる人を嗜(たしな)めたりしないのは、冷たさを感じとり、厳しさの中の温かさに触れてほしいからです。
少しずつ、気づき出した人が散見されるようになってきたので、人間の心で捉える力も、棄てたものではないと感じています。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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