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信頼関係は気づかぬうちに築かれている⁉

仕事でもプライベートでも、他者と信頼関係を構築することは、ある意味で究極的な関係性ではないでしょうか?

どれだけ言葉巧みでも、必ず信頼関係を築けるわけではありません。

言葉足らずでも、行動で示すことで信頼関係を築けることもあります。

特にビジネスの世界では、相互利益のために信頼関係を築くノウハウを、各社で保有していることと思います。

私がかつて学習したキャリアコンサルタント養成講座でも、まず最初に学ぶのが信頼関係構築の重要性でした。

しかし、最近になって感じるのは、意図的に築く関係性とは別に、気づかぬうちに築かれている信頼関係があるのではないか?ということです。

ということで、今回は「信頼関係」について書いてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

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私の知っている「信頼関係」とは「ラポール」という別称でもあり、技術によって獲得できる関係性でもあります。

そもそも信頼とは、何をもって構築されるのでしょうか?

まず考えられるのが、時間の共有です。

つまり、信頼よりも先に関係構築が在るということです。

「信頼関係」というと「信頼できる関係」と訳してしまいがちですが、実は「関係性の先に信頼が在る」ということを忘れてはいけないと思います。

また、この時間の共有とは直接的ではなくても成立すると私は考えています。

代表例は「名著」です。

著者と直接的な関係がなくても、書籍という媒体を通して関係性が醸成され、間接的な共有が成されると、そこに信頼関係が成立するのではないかと思うのです。

私たちが、好きな著者の作品を軽視されて不快に感じるのは、そのためではないでしょうか?

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次に情報の共有です。

例えば「秘密の共有」のように、お互いのより深い情報を開示することで信頼関係が成立することは、心理学の研究で明らかになっています。

私は離婚経験者なのですが、わりとオープンに離婚の話をします。

結果として、意図せずに相手の深い話を聴く機会が増えるのですが、このような関係性を「返報性の原則」などと呼びます。

そして、言葉の共有へと続いていくのだと、私は感じています。

言葉の共有には、自己開示も大切ですが、なによりも相手が自身の状況を開示してくれるシチュエーションを用意することが肝要です。

そのための技術として有名なのが
「受容=受け容れること」
「共感的理解=相手の感情に寄り添うこと」
「自己一致=自分は自分だと認識すること」
です。

時間・情報・言葉という共有が成され、そこに誠実さやシンパシーといった、個別の条件が加わって、信頼関係というのは形成されているのではないでしょうか。

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最後に、今回のテーマの「気づかぬうちに築かれている信頼関係」について、私の体験から考えてみましょう。

私は現在、障害を抱える方の支援をしています。

主に統合失調症などの精神障害者の社会復帰のお手伝いをしています。

障害者福祉サービスの中には、就労訓練と言って、実際に働く前に一般企業と相対取引を行い、障害者が作業できる環境を間借りし、業務に従事する精度があります。

要するに、障害を抱える方と、よその会社で与えられた仕事を遂行する、ということです。

精神障害は、他の身体障害や知的障害と違い、病気と障害の両方を含む状態であると言えます。

躁うつ病などでは、躁状態であれば出来る作業も、うつ状態では作業どころか出勤すら出来ない状況になってしまう方も少なくありません。

毎日、何らかの形でトラブルが起こりますが、それは精神障害者がトラブルメーカーだということではありません。

彼らは、自分ではどうにもできない心の状態と常に戦っています。

他の障害者と共通しますが、常に全力で生きているのです。

ゆえに、困っていることを訴えかけるときも本気なので、対応する側に知識や経験がなければ、「困っている人」ではなく「困った人」に映ってしまうのです。

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そんな彼らとは、毎日全力で意見をぶつけ合います。

ときには掴みかかられたり、怒鳴り散らされたりしますが、それはそれだけ困っているということなのです。

今日も、小さな言葉の食い違いから、他責(他者に責任を転嫁すること)状態となり、業務放棄をしようとする方がいました。

私は行動の根幹にある感情を聞かせてほしいと話し、相手の言葉に耳を傾けます。

やがて、話していく中で感情の波が穏やかになると、自分の悪い部分やこれからどうしていくのかという建設的な話が出来るようになります。

そんな彼らの、障害を抱える方同士の会話で、私の話がよく出るそうです。

細かい話は割愛しますが、「あの人は信用しよう」といった内容だそうです。

あまりにも想定外の話だったので笑ってしまったのですが、なぜ信用してくれるのか?と聞いたところ、意図しない答えが返ってきました。

「俺らを信じてくれるから」

…私は、支援者である前に、彼らと人と人の付き合いをすることを心掛けてはいました。

ともに働き、ともに会話し、ともに悩むことが当たり前だと思っていましたが、どうやら彼らにとっては当たり前ではなかったのです。

彼らには、毎日多くの気づきと学びを与えてもらっています。

言われるまで気づきませんでしたが、私自身も、彼らへの感謝が、いつの間にか信頼と呼ばれる関係になっていたのかもしれません。

信頼関係は気づかぬうちに築かれている⁉という話でした。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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