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もしかして、やりがい搾取されている⁉

遣り甲斐や働き甲斐をもって働くことについて、思っている以上に難しいと感じることはありませんか?

個人的な意見ですが、就労意欲向上のための動機付けは自分という存在だけを中心にすると、より不条理や不満を感じやすくなるのではないかと考えています。

例えば、お金を稼いで豊かな生活をしたい人は、給料の高い職場を選んでしまい、その仕事が、なぜ社会にとって必要なのか?などを考える機会が少ないのではないでしょうか?

結果として、自己評価と会社の評価にズレが生じてきて、「頑張っているのに評価されない」と感じるようになってしまうように思います。

また、自分の時間を大切にしたいと考えている人にとって、就労時間は自由を奪われていると感じるようになり、働くことそのものに嫌気を感じてしまうこともあるのではないでしょうか?

さらに、それらの働き方が社会に認知されることで、「自分は何のために働いているのだろう?」と、思考の迷路にハマってしまうこともあると思うのです。

そのような社会的状況の中で、遣り甲斐や働き甲斐をもって働けることは、素晴らしいことなのだと思います。



一方で「やりがい搾取」という言葉も存在します。

やりがい搾取とは、経営者または依頼者が本来支払うべき賃金や手当、料金の代わりに、労働者に「やりがい」を強く意識させることでサービス残業(長時間労働)や無賃労働を勧奨し、本来支払うべき賃金(および割増賃金)や料金の支払いを免れる行為をいう。東京大学教授で教育社会学者の本田由紀により名付けられた。

Wikipediaより

さまざまな経験や苦悩を経て、ようやく掴んだ遣り甲斐や働き甲斐も、それで幸福になれるということではないようです。

「ヒトを笑顔にすることが遣り甲斐だ」などと考えて、そのために必要な業務をバリバリこなすが、会社では残業削減に取り組んでいるからと遅くまで働くことが許されない、とします。

この場合、本人に熱意がある故に、それならば…と勤務時間外まで仕事のために時間を費やすようになっていくこともあります。

結果として、頑張れば頑張っただけ、労働の対価は目減りしていきます。

しかし、本人は働くことで自己満足が満たされますから、このようなサービス残業が常習化していく…。

悪循環ですよね。

実は、まさに今、私の働き方が、この「やりがい搾取」の対象ではないかと友人たちから指摘を受けたのです。



私は否定をしませんでした。

「やりがい搾取」をされたとしても、やらなければならない仕事があるし、なにより、私を信頼してくれている人に明るい未来を照らしたい。

「やりがい搾取」を受けた人には、二つの道があると思います。

一つは、腐ること。

もう一つは、実ることです。

「就職」や「就社」のように、職業や会社に就いてしまうと、逃げ場が無くなってしまうので、次第に腐っていくのではないでしょうか?

「頑張っているのに評価されない」という状況ですね。

しかし、評価は社内評価だけではありません。

どんな状況でも、意志を以って働く姿を保つことで、もっと広い範囲で評価されることもあると思うのです。

それが実りだと、私は考えています。

正直、私は今の働き方が出来るのは2,3年だと考えています。

それ以降は、搾取されるようなら辞めればいいし、そのための力をつける期間だと割り切っています。

だからこそ、腐らずにいられるのです。

今の私は、本当に友人に恵まれていて、心配や激励の言葉をもらうだけでなく、必要な情報や知識をも無償で頂戴する機会も多くあります。

また、複数のコミュニティに属しているので、その恩恵は、より多岐に渡っているように感じます。

「やりがい搾取」はあってはならないモノです。

ですが、実際には存在するモノでもあります。

もし、あなたが「やりがい搾取」に遭ったとしても、未来志向で物事を捉え、何のための今なのかを忘れてはならないと、私は思います。

どんな働き方でも、働く場所でも、自分がどう在るべきで、どこに向かおうとしているのかを考えることが、一時的に搾取されても、腐らずに実りをもたらす生き方になるのではないでしょうか?


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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