イージーモードに置き換えちゃう心理
現在、資格取得と後学のために研修に参加しています。
未習熟だからこそ、学びの場に参加するのですが、未習熟でも資格が取れたり、資格試験に合格してしまうことってないでしょうか?
私は、あります。
何かを学ぶことは自分の成長を感じられるし、新しい領域の知識や技術を習得することは面白いものだからです。
しかし、学習の中で不意に違和感や異物感を感じるときがあります。
それは、自分という存在への感覚です。
未習熟とは、一定の習熟度に達している専門家と呼ばれる方々に比べて、ピンからキリまでレベル差があるのではないかと私は考えています。
ですから、研修や学習に取り組むに値するレベルではないと、自分で感じてしまった場合、ゴールの下方修正が行われることがあります。
私だけかもしれませんが、資格を取得したり研修が終わった段階で満足してしまう状態こそ、下方修正されたゴールです。
資格等は、本来は取得後の活動にこそ意味があります。
例えば、弁護士や医師などは業務独占資格ですから、持っているだけでは意味がなく、誰もが許可されていない専門性の高い行為を許された許認可の形が資格免許です。
それを持っていながら行使しないのは、宝の持ち腐れだと私は思います。
裏を返せば、私の保有している資格にも、宝の持ち腐れは存在します。
持っていることに満足してしまう、いわゆるイージーモードへの置き換え。
これは、志の問題ではなく、取得の過程で生じる自分の価値への違和感や異物感が消えずにいる状態だと言えるのではないでしょうか?
…というか、私はそんな状態だと思っています。
現在受講中の研修も、周囲のレベルとの差異に、自分の価値の低さを感じてしまっています。
ですが、ここでイージーモードにしてしまっては、これまでと変わらない。
もっと先にある、本来あるべきゴールをしっかりと見据えて、残りの研修に臨み、今後に役立てたいと思います。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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