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愛が存在しない世界

私には「愛」という感情が分かりません。

感情なのか感覚なのかも分かりません。

しかし、世の中には公然と愛を語る人がいて、見えないはずのモノ…まるで神様のように信仰しています。

え…愛って何ですか?( ̄д ̄)

存在しないモノを「揺るぎないもの」だとか「唯一のもの」だとか…もっと具体的に説明してはもらえませんか?

あなたの中にある?感じている?その不思議なモノを分からない人に伝えることができますか?

ということで、今回は「愛」を主題として「虚構」について考えてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

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例えば男女間で交際して結婚に至る場合、それぞれの頭の中で定性的なデータをどうにか定量化して、言葉を選ばずに書いてしまえば損得勘定をして決意を固めるのだと思っています。

ですが、自分だけの意思で、将来の人生すべてに責任を背負うことに重圧を感じることでしょうから、何かにその責任の一部を転嫁したいと考えるのが妥当ではないでしょうか?

その結果、「愛」という虚構を創り上げることで、私たちは自分の選択が、何か大いなる力のもとに導かれたのだと、ロマン溢れた物語のように恍惚の表情で悦に入るのだ…と私は真面目に考えています。

例えば、実の我が子に対する感情を「無償の愛」と表現する方も多く存在しますが、どれだけの親が我が子に期待を寄せ、何かを背負わせ、愛とは無縁の言葉や仕打ちをしていることでしょうか?

はじめから実利的に養育するための理念と目標を掲げ、公共の福祉に反しない範囲で教育という名の洗脳を施しているのだと宣誓したほうが、納得を得られることもあるはずです。

しかし、それでは何かが欠落している…。

私たちは「愛」をはじめ、多くの、何か見えない存在に生きるための拠り所を求めています。

見えないモノを共有すること。

プライベートでもビジネスでも、いろいろと思い当たるモノがあるのではないでしょうか?

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虚構】きょこう
1 事実ではないことを事実らしくつくり上げること。つくりごと。
2 文芸作品などで、作者の想像力によって、人物・出来事・場面などを現実であるかのように組み立てること。フィクション。仮構。
(デジタル大辞泉より)

典型的な虚構は「神様」でしょう。

幼いころに「どちらにしようかな、天の神様のいうとおり…」という言葉を用いて選択を行った経験のある方も多いのではないでしょうか?

これは「自分では決めきれないから、架空の存在を創り上げ、責任を押し付けよう」という行為です。

実際には、文字数さえ分かっていれば、複数の選択肢であっても、どの対象物が選ばれるのかは一目瞭然です。

余談ですが、「天の神様のいうとおり…」の後に続く言葉には地域色があるそうです。本文とは全く関係ありませんが(笑)。

さて、今採り上げている「神様」ですが、あなたはどんな姿形を想像していますか?

そしてそれは、10人いたら10人とも共通認識できるモノだと思いますか?

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世界には数多くの虚構から生まれた存在が在ります。

天使や悪魔、鬼、ヴァンパイア、ペガサス、フェニックス、ガーゴイル、鵺(ぬえ)、麒麟(きりん)などなど…。

今では、何らかのイメージ画像が拡散されているので、天使と言えば白い翼であったり、鬼と言えば角があるなど、一定の共通項はあることでしょう。

ですが、その姿形は千差万別で、そこには個々人の経験や知見が大きく影響しているはずです。

これらと同様に「愛」も千差万別であるはずなのに、なぜ自分と相手の「愛」が同一のものであると認識できるのでしょうか?

共に過ごす時間の中で育み培ったモノ?

それは「愛」という虚構ではなく、単純接触効果や同調効果といった心理現象の結果だと言えるのではないでしょうか?

多くの人は愛を語り、愛を求め、愛に苦しむ人生を求めますが、存在しないものを追い求めるのもまた、青い鳥症候群という心理的志向に過ぎないのではないでしょうか?

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まとめです。

私たちは虚構の存在を創り上げることで、心理的負担を軽減したり、共通認識によって相互理解しようと試みますが、そこには必ず想像のズレが存在します。

虚構は当たり前に存在しているのではなく、共通認識のズレを修正しなければ意味を成しません。

「私たちは愛し合っていたはずなのに…」

どちらかが修正することを怠ったのか、はたまた最初からボタンの掛け違いであったのか…?

「愛」があなたにとって虚構ではなく真実だとするならば、そのたった一つの存在を共有することを怠らぬようにしなければなりません。

ですが、私には見えないモノに自分の人生を委ねる感覚は今のところありません。

愛が存在しない世界。

それは、今瞬間のこの世界だと私は考えていますし、決して悲しい世界ではないとも考えています。

たとえ「愛」が存在しなくても、大切な人は存在しているのですから…。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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