出会いは心に風を運ぶ
せまい世界に閉じこもっていると、心は乾いていきます。
小さな世界で満足していると、心は腐っていきます。
では、広い世界に旅立てば、心は潤うのでしょうか?
大きな世界にその身を置けば、心の鮮度は保たれるのでしょうか?
私は、少し違うと感じています。
例えば、「世界」を「社会環境」に置き換えてみて下さい。
社会とは、Wikipediaより抜粋すれば、下記のような意味となります。
社会環境(しゃかいかんきょう)とは、社会学用語の一つ。これは人間が行っている生産や消費などの生活に、直接的あるいは間接的に影響を与えるような社会的な諸条件の総体のことである。組織や制度や階級や構造や慣習などが社会環境に当てはまる。
「社会環境」を具体的に例示すると、就職や転居などであなたの世界に変化があったとして、果たして、そのことだけで心に変化は起こるのか?ということです。
大手企業に勤めることが、あなたの心を豊かにするでしょうか?
新たな土地に移り住んだことが、あなたの心を洗い流してくれるでしょうか?
私は、そこに出会いがなければ、心は満たされないと思うのです。
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出会いとは、何も他者に限定したモノではありません。
物であったり、本であったり、人間以外の生き物だったり、景色であったり、その土地の空気そのものだったり…。
今を生きるその刹那、あなたの心とつながることのできる全ての事物が出会いの対象です。
私たちは飽和してしまいそうな情報量の中で生活しています。
それゆえ、「観る」と「視る」や「聞く」と「聴く」のように、本来であれば異なるモノを同一視してしまう習慣がついてしまっているように感じます。
無関心や無感動になっていると言っても過言ではないのかもしれません。
現代病に肩こりや腰痛が蔓延しているように、心も凝り固まっているのだと思うのです。
ですから、出会いという言葉について意味は理解できても、それがもたらすモノについて考えることが、浅薄になっているのではないでしょうか?
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転職して、出会いが増えたことに、私は馴染めない時期がありました。
それまでは、何年も同じ作業、同じ従業員、同じ場所で生きてきました。
私の心は、ガチガチに凝り固まっていたのでしょう。
多くの人と出会い、多くの土地に足を運び、多くの世界に身を置いても、最初の頃は多くの気づきを取りこぼしていたと考えています。
つまり、身の置き場を変えても、変化があるわけではないということです。
ひとつふたつ…と気づき、学び、感じ、考えるようになって、ようやく心に新風は訪れます。
風が吹くことは、良いことばかりではありません。
ときには心を汚すような悪風が吹き荒れることもあります。
それでも、それすらも糧として、ようやく心は豊穣になるのです。
人と会うことはあるでしょう。
事物と合うことはあるでしょう。
しかし、それは出会いではないのです。
出会いとは、自らの心の扉を開いてこそ訪れる、新しいあなたを生む気吹(いぶき)なのです。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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