必要な情報のみ欲する時期なのかもしれない、なう。
数ヶ月ぶりに、近所の書店に足を運んでみました。
それほど大きな店舗ではなく、近くに他の商業施設もない立地だからなのか、いつ足を運んでも適度に人がいるものの、騒々しくもなく落ち着いた雰囲気が漂う書店です。
1,2年前くらいまで、しょっちゅう足を運んでは、その都度、気になる書籍を見つけては購入して帰る日々でした。
1ヶ月の書籍代が数万円になることもザラでしたが、さまざまな知識を吸収することにステータスを感じていた時期だったように感じます。
よく購入していたジャンルは、いわゆるビジネス書や自己啓発書と呼ばれるもので、思考が洗練されていくような感覚が好きでした。
そして、今日。
数ヶ月も間隔が空いていると、新刊コーナーどころかブースそのものが、真新しい本で埋っています。
noterさんが紹介している書籍も数多く点在し、手に取ってみては、ペラペラと目を通したりしていました。
ですが…。
以前のように、購買意欲につながることがありませんでした。
たまたま良書に巡り合わなかっただけなのかもしれませんが、あれだけホイホイ購入していた時期があるだけに、自分事であるにも関わらず、何とも言えない違和感に襲われました。
「…あれ、何でなんだろう?」
違和感を抱えたまま、何も買わずに書店を後にしました。
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違和感を感じたら、考えを巡らせる。
noteのネタ探しから派生した、自分なりの思考法。
まずは違和感に気づくこと、そして、最低限の納得ができるところまで思考を掘り下げること。
頭の中で、幾つかの理由を候補に挙げてみました。
一つは単純に、自分に合う書籍が無かったこと。
逆に考えれば、過去、貪るように書籍を購読していた時期そのものが違和感だったのかもしれません。
知識や情報にすがりつくように、あるいは、知識や情報で我が身を飾り立てるように…。
今現在、かつては趣味や道楽であった知識や情報の保有量が、仕事というライフワークに組み込まれ、ただ広く知っていればいい状態ではなくなったことで、取り込む際のフィルターの粒度が細かくなったのかもしれません。
二つめに、情報を得る媒体としての書籍への依存度が下がったこと。
良書は、noteでレビュー記事を読むことで概要を把握できますし、書籍に頼らなくても、自分が欲している情報はフォローしているnoterさんの投稿から得ることが出来るようになりました。
また、職を変えたことで、他者から情報を得られるようになったことも大きな要因だと考えています。
そして三つめが「必要な情報のみを欲する時期」ではないか?という仮説です。
一時的に大量の書籍を読破する経験をすると、読書量の減少と知識欲の減少がイコールであるように感じてしまうと思います。
ですが、そうではなく、より尖った知識、より穿った情報を求める時期というのが存在するのではないでしょうか?
方法は変われども、本質は変わらない、ということです。
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以上のようなことを考えながら、改めて感じるのは、仕事やプライベートを通して得られる交友関係とその情報体の重要性。
そして、noteという媒体に内包されている情報の粒度の細かさと、noterさんの文章が他者に与える影響の大きさ。
これらを感じて、今、記事を綴っています。なう。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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