目線合わせ
昨日は帰りも遅く、つぶやきで済ませてしまいました…。
実は800日連続投稿の日だったので、スクショしたかったのですが、それも叶わず…、次回は888日をスクショできるように頑張ります。
さて、私の働いている会社では「目線合わせ」という言葉があります。
おそらくは、どこの会社でも共通の言葉や認識だと思いますが、今回は改めて、この言葉について書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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「目線合わせ」に類似する言葉に「足並みをそろえる」がありますが、両者の違いを考えてみましょう。
すごく簡単に説明してしまうと、「足並みをそろえる」はスタート地点を共通認識することで、「目線合わせ」はゴールを共通認識することではないでしょうか?
「いやいや、ある程度プロジェクトを進めた後に足並みをそろえることもあるよ」
そんな声も聞こえてきそうですが、そのような場合はリスタート地点と考えると、齟齬がないと思うのですがどうでしょうか?
ともあれ、どちらもチームや組織がまとまりをもって進む上で必要なことだと思います。
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私は仕事柄、一人で課題を抱えて、一人で解決案を模索することが多いです。
「大丈夫かな…?」
そんなことを思いながらも、決定案を出さなければ業務が進みません。
当然ですが、そのようなことをしていると、いつの間にか目の前の課題にばかり気を取られ、本来進むべき方向を見失ってしまうことがあります。
…こういったときに「目線合わせ」は必要です。
選択も決定も一人で担う場合、揃える足並みがありません。
ですから、ゴール地点を再確認し、進行方向の修正を行うため、目線を上げることが肝要だと思います。
しかし、一人ではなかなかそれが難しいときがあります。
そこで、よりゴールに近いところに立つ人間から導きを受けることで、その相手を見るために目線を上げ、結果としてゴール地点を確認できるのが「目線合わせ」の意味合いに含まれていると私は考えています。
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私個人ではなく、もう少しマクロな視点でも考えてみましょう。
例えば、昨今謳われている「SDGs」や「LGBTQ」への理解や活動には、明確なゴールがありますが、スタート地点は存在しません。
それは、それぞれ生活・風習・文化・環境等の違う土地に生まれた私たちが目指すモノとは?という命題を考える時に「足並み」ではなく目線をそろえることが必要だということです。
ちょうど今日の仕事中に、そんなことを考える機会がありましたので、記事にして共有してみました。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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